アルゼンチンつれづれ(85) 1985年11月号
菊八
“ちょっと日本に居る”つもりが、何回目かの曼珠沙華の鋭い赤に「あれ、もう!」と驚き……あれよあれよと日が過ぎてゆく。
遮二無二引越し、千駄ヶ谷の住人となって、もう一年がたってしまいそう。
「奥様は眺めているだけ」という謳い文旬の引越し屋が、新しい住いと決めた小さな囲いに、日本へ来てから溜ってしまったガラクタをドサッと持ち込むと、さっと姿を消してしまい、「え!すぐ住めるようにしていってくれるんじゃなかったの」と大変大きな詐欺に会った気がしてしまった引越しの日、乱雑な家の中をあきらめ、「何か食べられる所探そう」と家を出てキョロッとすると“季節料理”の暖簾が見えました。格子戸を開け「近くに越して来たのでよろしく」と言った時から始まりました。
東北出身の熟年夫婦が営む“こじんまり”とした店。その夜、新入の私に土鍋が“美昧しさと暖かさ”を惜しみなく。
アルゼンチンの家でも、高輪にいた時も、いつも誰かが飲みに、話しに来ていたのに、今度の千駄ヶ谷の家はあまりにも日本的(?)な構造、来客という間取りがしてないので、大人が飲んで話の最中に子供達が帰ってくると“大急ぎ”の子供の生活を守る場所が無く、所詮子供達の為に日本に来ているのだから、友達と私の方が食(は)み出してしまい季節料理“菊八”が私の応接間になってしまった。 接客のみならず、「鰯煮てみたの、食べてみて」「青森から茸送ってきたから、茸汁においで」「店が暇だから一緒に飲もう」など菊からのラブコール。「出かけてて食事の仕度出来ないから魚を焼いておいて」と出先から電話で頼む私。斯くして、味噌汁の鍋を抱え、皿の魚を引っくり返さないように……と明治通りを渡ります。
ある話しの成り行きから、商い人が仕入れに行く築地市場へ連れていってもらえることになり、今までいろいろな国を旅してきて、美術館、名所旧跡より、その土地の人々の食べ物、どんな道具を使っているか、ということに興味があり、必ず市場へ行きましたのに、日本では、デパート、マーケットしか知らないで、ままごとみたいに暮している。野次馬であって野次馬らしくないよう、雨も降らないのに長靴をはき、水びたしだという市場へ…菊の後を従う。キュッと鳥肌の音、発泡スチロールの箱の山を分け入ると、大も小も、もう魚魚。コチンコチンに凍っているらしい鮪が外気に塩をふいているように真白、所有者の名前なんか書かれ幾つもいくつもころがっている。跨いでしまう破目にもなる。広いのに所狭しと魚だらけのその間を縫っての細い通路を、昔風大八車、現代風……が行き交い、危うく潰されそうになるのを、スルリと抜けたりしていると“自分も魚河岸の人としてやっていけるかも”なんて気がしてきてしまったり。
とてつもなく大きな肉の塊と格闘している人、地上で一番大きな動物からだってあんな大きな塊が得られるはずがないが……鯨だ!初めて見る巨大な肉の塊に興奮。育った三河湾で見慣れた物とは、えらく姿形の異なっている魚達、量、種類、生きるも凍るも……こんな沢山の魚貝類を消化してしまう日本の人達のエネルギーに脱帽。モズクが三百グラム欲しい自分の存在なんてあまりにも小さくって消えてしまいそう。菊の仕入れる魚も手伝って持つ手がだんだん重くなる。商うということは、大変な重さなのだと知る。今日も夕刻“菊八”の明りがともる。私も子供達も“菊の明り”にホッとする。
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