アルゼンチンつれづれ(192) 1994年11月号
日本を写す
「御馬のおじいちゃまと田園調布のおばあちゃまを写しに来たんだよ」とスケートの練習の時からのちょっぴり旧式のビデオカメラを抱えて玉由の到着。
「日本に来るのはおじいちゃまとおばあちゃまに逢うことだもんね、いっぱいお話しなくっちゃ」と由野も着いた。
「はじめてのお母さんの家」すなわち私の日本での住いは、子供達に「わー、かわいいじゃないの、アルゼンチンやブラジルの時の懐かしい物が一杯あったり、日本風だったり、妙な感じだけどお母さんぽくって、一人で住むには丁度よい大きさだね」と合格点をもらったものの、一人用の家をしばらく三人で暮すことになる。今までの外国生活は、それぞれ自分の部屋に自分専用のバス、トイレがある生活だったけれど「いいよ、いいよいつも遠くにいるんだから、こんな時ぐらいぴったし一緒にいよう」と解決は早い。「アメリカの友達が『日本のこと沢山写してきてね』って待っているから」と外国生まれの二人が日本への興味を写しまくる。
「何をおもしろがるのかなー」と私は野次馬、ただでさえ三十年近い年齢差があるうえに私が理解し得ない言葉を幾つも身につけてしまった子供達と、わかり合えるのは親子という感覚くらいまで。ひたすらのくいちがいを楽しんでいる。
「日本は銀座よ。六本木も原宿も行かなくっちゃあ、麻布、浅草、横浜……」
「え! 嘘でしょ、こんなに高い物誰が買うの、日常に食べる物なのに、アメリカでは山盛りにしたってこんな値段にはならないよ」とメロンやネクタリンが値札もろともしっかりとビデオに収まってゆく。外国からきた学生には、日本の何もかもメチャメチャに高いらしい。
お祭りがあると聞けば暑さもいとわず出かけてゆき、お祭りを通り抜けると満艦飾。風船がプカプカ、頭にはハート型のライトが点滅し、右手にはヨーヨー、左手に金魚。首からハッカのネコがぶらさがり「楽しいね、楽しいね」と自作自演のビデオは増えてゆく。一番驚きは「おすし」「お刺身」という同じ名前の上での味の差。地球の上のずいぶんいろいろな所で日本食は食べられるのだけれど、本家本元の味を味わい分けられるまでになった子供達。特に白身の魚と日本酒は外国では絶対に味わえない。「おいしいね、おいしいね」と舌にもビデオにも記録されて。
「まだ一度も行ったことのない温泉とやらに行ってみたい。四角い建物じゃなくて、瓦の乗っかった日本風がいい」という子供達の意見で、私は由緒正しい伊豆修善寺を選んだ。
宿に着くなり「わーい、温泉だ、温泉だ」と勇み込んで大風呂を見に行った二人は「他の人が入っているんだよ」と目を丸くして帰ってきた。「知らない人と一緒の湯に入るなんてこと出来ないよ、もしも病気の人だったりしたらうつるじゃない、汚れている人かもしれないよ」そういえば今だかつて日本風のお風呂に入ったことがなかったんだ!この子達は。
「おじいちゃまのアララギの、皆で歌会をしているところも絶対写したい」母親が日本に住みついてしまうほど「面白いこと」と玉由も由野も思い込んでいる。
「おじいちゃまって玉由たちのことをわかろうとしてくれて… かわいい」
「おばあちゃまは年取ったことにいじけているよ、せっかくこんなに年取れたんだからよろこばなくちゃ!」
「玉由と由野が帰ってくる所はやっぱり日本だよ。日本にしっかり場所作ってね」あれやこれや、言い置いてひとまず帰ってゆきました。
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