アルゼンチンつれづれ(237) 1998年08月号
奈良の大仏様
「奈良には大きな仏様が居られる」……どうしても見たくなって、一人奈良へ出掛けて行ったのは、学校と家との往復しかしたことのなかった高校生の時。私の初めての冒険。 だいたいのことが想像より、思いより、小さい感じがして、ちょっとがっかりしたりするものだけれど、はじめて逢った「奈良の大仏様」の大きさと立派さと、何と頼もしい…と、びっくり魂消た。
ずっとずっと見上げていて、他のことは何もしないで、こんなとてつもなく大きなものを作ってみたい、と夢幻で帰った記憶がある。
その次に奈良へ行ったのは造形美学の授業で先生に連れられて二週間ほど日吉館に泊まった。東大寺の近く、大仏殿の金色の鴎尾がいつも見えている日々、毎日、奈良の仏像の一体一体について、足の爪先から頭上に至るまで先生の説明を聞きつつ…すべて美学上からの見方で、ポカンと大仏様を見上げていたようなのんきなことではなく、あまりぎっしりの立派な授業だったから、とうとうどのお寺のどの仏様だったのか混乱をしてしまった。今でも仏様の足の親指にキュッと力が入っていた様子とか、指先の示すそのゆくえとか…忘れられない場面場面はあるけれど。
今は、女主人の老齢で廃館になってしまった日吉館では、他の学校の学生達も泊まっていたし、学者らしい人、長期逗留の人…。皆で一緒にした食事の時も、食後の消灯まで、大勢の話は弾んだ。日吉館のご飯のおいしかったこと。あの時のご飯の甘さはまだ忘れられない。
ひと時、大変著名な方々ともご一緒させていただけたことを今になって思う。
それからしばらくは私自身が外国へ行って外国人になっていた時が長かったけれど、アルゼンチンやブラジルの仕事関係の人達や友人達に日本を案内したりする時、私が大仏様に逢いたくて、よく奈良行のスケジュールをたてた。虎の威を借る…みたいに、大仏様の威を借りて日本を紹介したりして。
外国で生まれ育った私の子供達もまず大仏様の所へ連れていった。子供達も私みたいに驚いたり、よろこんだり、言葉にはならなかったり、心の支えにしたり同じ思いを共有する安心が出来た。
そして今回は、単なるあこがれやカリスマのみならず短歌への思いも込めて、あらためて大仏様の前にいた。
いつも奈良駅から直接大仏殿へ行き、それで安心して帰ってしまう。今回は友あり東大寺を歩く。すなわち三月堂、二月堂、大仏殿の背後の大池へと流れ込む小川のせせらぎを聞きつつ、講堂跡の礎石を何事だろうと見たり、紫式部が実を結ぶところ。あせびの残り花。わらびがやっと葉を広げ…そんな人影のない道を歩いて正倉院へ。もう歩けないと思いつつも戒壇院の階段を登る。南大門を通って国立博物館へ。
入口でまず驚くのは、大仏様が座っておられる大きな大きな蓮の花のその大きな蓮弁がひとひら展示してあった。うす暗く高い位置の大仏殿では、ただ黒いおごそかな物体であったのに、家や動物や風物が線で描かれていて、いとおしくてたまらなくなる。
大仏開眼に使用した由緒正しい筆もあり、綾あり、大幡は來纈の染も美しい。天平時代、大仏様が出来たことは夢かおとぎ話かほどに思っていたのに、現存する数々を目近に見て、本当に人間がこの大きな仏様を造ったこと、人間が受けついできたことを、しみじみと実感するのだった。
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