アルゼンチンつれづれ(264) 2000年11月号

個展

 “食住”の一番始めに登場する“衣”について、生涯のテーマにしよう、と思っていた時があった。
獣ではないしるしの衣。すなわち布について、テキスタイルデザイン、繊維デザインという勉強をはじめた。
布に染めるべく模様を、スケッチから変化させた図案を紙面に表現していた時期があり、そのうち、ただ紙に描いているだけでは面白くない、と思いたち、自分で直接布に接したい。布の元である糸に思考がさかのぼった。
 刈ったばかり、草の実など入り込んでいてドサッと重く、臭く汚い羊毛を、洗剤で何度も洗い、乾かし、ほぐし、糸車をまわし、より糸を作る。
 出来た糸を湯のししたり、染めたり…。手織り機にかけ…まこと細々の手数をこなし、ひと糸ひと糸織りあげる。
 縦糸、緯糸での模様。一本一本拾って図案を織りだしてゆく綴れ。その変化で織りだすことも。
 あまりに時間のかかる大変な行程でもって、なかなか自分の図案にたどり着けないもどかしさ、染物だったら、もっとはやく大きく表現出来るにちがいない。
 染物をはじめる。餅のり、色のり、ローケツ…あの手この手とせっせとこなしているうちに、布に直接、筆の勇いでもって絵を描きたい、と思うようになった。
 一筆でもって、人に見せられるようなものが、そううまく描けるわけがない。絵が描けなくては…と今度は墨絵をはじめた。
 墨絵らしきを描いてみて“絵”ということに負い目があることをさとり、基本にかえらなくては。
 まず人間。人の姿が描けなくては絵を描くとも言えない。
 “布”をはじめて、布をまとわないモデルに向い、クロッキー、デッサン…の日々がはじまった。
 描いたものはどんどんたまる。家中の壁がいっぱいになり、つくねておく場所もなくなってくる。
 方向は違っても、原点にたち向っている仲間三人と、絵を人前に広げてみようか、一つの変化、締切り、みたいな気持になろうと。厚かましいのではないか、自分の絵のために人を呼び寄せるなんでおこがましい…一人くじけそうになると、一人が強気になり、一人があきらめようとすると、前進してみなければという人がいて、とうとう画廊探しにまで発展した。
 銀座界隈、探し歩いた効があり、理想的な画廊にめぐりあえた。
 暑くなく、寒くない十月下旬の予約が出来た。
 日が近づくと、案内状というものが要ることに気付き、案内への思考、印刷屋探し。そして最小葉書枚数単位が千枚であることに驚き入る。一人で二百五十枚も何とかしなければならないことになった。
 長い間日本を留守にしていて、日本へ帰って来てから知りあった人達。名刺をいただいた方達…。同年、先輩、亡くなってしまった方も多い。黙していればなかなか逢えないのだし、せっかくの接点のあった方々をまた一度騒がせよう。私のホームパーティにお呼びするつもりになろう。
 描きためた絵は、一枚一枚似合う額縁に入れたい。額縁合わせにも大きなエネルギーを要した。
 オープニングパーティのワイン選び、カナッペも注文しよう。
 まだ、しておかなければいけないことあるのだろうか。

 
 

Copyright (C)2002 Yuri Imaizumi All Rights Reserved. このページに掲載されている短歌・絵画の無断掲載を禁じます。