アルゼンチンつれづれ(290) 2003年02月号

アマゾン川

 はじめてしまったアルゼンチンやブラジルでの続きを続ける故に、時には南米に向けて飛行機に乗る。
 父が作詞した御津南部小学校の校歌のように、父母が望んだ世界に向かう姿勢を崩すわけにはいかない。
 出掛けてゆきたくても出掛けられなかった父母に、私の世界での経験をわかつよう、ひたすら御津に向かって帰った外国住いの頃。そんな父母との対話は、父母が亡くなってしまった今も、私の中では終らない。
 「お父さん、お母さん、今度は、アマゾンですよ」
 上空を飛行したり、空港までは辿り着いたり、そんなことになっていて、いつか行くべき所としていたアマゾン。
 地球の酸素の大きな部分がつくりだされる所というアマゾン地域、そこを流れるアマゾン川、源流をペルー、アンデス山脈の氷河とするソリモンエス川を本流とし、アマゾン地域の土の色の赤褐色をして、千をこえる支流を吸収しつつ赤道下を六千五百キロ流れ続け、大西洋に同化する。
 途中の、マナウス辺りで、ベネズエラからの支流、ジャングルの堆積植物から溶けでる有機酸で煎じ薬色を黒と名付けたネグロ川と合流する。
 この源を異にする二つの大きな川の、水温、速度、比重の違いにより、何百キロもまじりあうことなく、二つの色のまま流れ続けているのを、行って確かめた。ピンクのイルカが時々見えた。どうしてこんなに沢山の水が流れ続けているのだろう。理解は出来ないまま、まじり合わない色の間を、私の乗った船。
 この黒い川ネグロ川が、ネオンテトラやエンゼルフィッシュなど熱帯魚の原産地、煎じ薬色の水は、多大な威力、薬効をもつらしい。
 アマゾン川というと、ピラニア。ピラニアとひとことでいっても、多くの種類があることを知る。同種のピラニアでも、赤いピラニア、黒いピラニア、居る川の色に同化するのだと。
 私は、大きな船から、カヌーに乗りかえ、赤いピラニアを釣りあげた。そして、空揚にして食べてしまった。
 アマゾン川の源流から、自分で作った筏に乗って、河口、すなわち大西洋まで下った植村直己の冒険、その頃住んでいたアルゼンチンの私宅に逗留していた彼の輝やく瞳を思う。
 彼が筏で通っていった、この巨大な、取りつく島もない水の流れに、私もやっとやってきて、この川に挑戦し、数多の毒虫、毒蛇、動物、盗人、息苦しいほどの暑さ、駆、支流に入り込んでしまわないよう。彼の巨大な恐怖、とてつもない孤独、そして、ピラニアを釣って食べていたというピラニアの味。何か共有した気持になった。
 アルゼンチンの住んでいた家の近くを、向う岸の見えないラプラタ川が流れていた。この川も、ブラジル中部の大湿原パンタナールでアマゾン川と連結している。今あらためて、そうだ、アマゾン川とラプラタ川は同じ色をしていると思いあたった。
 世界の三大爆布のひとつ、イグワスの滝となるパラナ川も、ひとつ大湿原パンタナールから発し、アマゾン川と連なる。
 ひと言では言い尽くせはしないアマゾンをこれから知りはじめようと思う。もっと知りたいと思う。

 
 

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