ことのはスケッチ(318) 2005年(平成17年)6月

アルゼンチンからのお客様

 アルゼンチンに住んでいた時は、日本から携えた技術でもって電子部品を作っていた。
 アルゼンチン国には、アルゼンチンの国産でなければならない時代で、アルゼンチンの電気関係は、うちの家業の電子部品が組み込まれ製造されるのだった。
 時は移り、アルゼンチン製品も中国へ発注するようになり、発展をはじめた中国へ、しばしば出掛けてゆき、中国の工場で、アルゼンチンの、うちの製品がベルトコンベアにのりながれている様。そのことはその時々に合わせ続きながら、アルゼンチン生まれの私の二人の女の子を世界で生きてゆかれるように…とアメリカや日本やジプシーのような生活をはじめてしまった。
 そんな時も、アルゼンチンではじめたことは、そのまま続き、その頃からの生産者が中国に買い付けに来たついでに東京へもやってきた。
 日本へははじめてであり、スペイン語だけの彼等の四日間を少しでも巾広く、少しでもうるわしくしたい。
 成田より東京都内、箱崎までは何とか来てもらい、そこで待ち受ける。大荷物共々ワゴンタクシーに詰め込み、浅草寺の門前にとった宿に向う。
 言葉も習慣も食事も、訳のわからなかった中国で二週間を過した彼らに、イタリアとスペインとでなりたつアルゼンチンに近いイタリアレストランでリラックスしてもらう算段をする。
 そして彼等への日本体験は、私が行きたいことが一番の理由で、早朝の築地場内市場へ。
 少し前までは、素人が場内をうろうろすることは、怒鳴られ、蹴飛ばされ、他人の仕事の邪魔をするものではない、と引込んでしまったけど、最近は、わりと許容してくれていて、数限りない魚の種類を見てまわれる。大きな鮪がゴロゴロしていること、解体している様子。食べるということのすさまじさ。
 築地市場の後は、新緑の皇居前。秋葉原電気街,常に縁なく過す私にも、今の日本の最先端、傾向が伝わってくる。案内している範囲は、江戸時代より埋め立てられた土地ばかり。私にも埋立の様子を見ることが出来たお台場辺りの、このごろの変貌の様子。架空の国にまぎれこんでしまったよう。東京湾と一体化して、本当に美しく成った。
 「お台場辺り夜のクルーズに是非」とお客様達の要望に、夕刻浜松町、日の出桟橋へ。
 タイタニック系をイメージしたのでしょうクルーズ船に乗り込む。恋人達と見受けられる他の乗客とは掛け離れた雰囲気を醸してしまう私達も、バーフロアでカクテルを飲みつつ出航。
 早朝に行った築地辺りを、夜の海上から見て過ぎ、東京湾の大仕事、巨大なコンテナー船が列をなし接岸している。
 コンテナーをリフトで吊り上げ、一つ一つ降ろしている作業が、お酒を飲んでいる夜にもかかわらず行われている。コンテナーを満載し、何隻も何隻も。私の“蜂蜜”のコンテナーも、たった一つではあっても、こんな風に船に乗り、船から降ろされ…私の店までやってきた。地球をかけての仕事というに参加したことが現実に見え、あまりにも細やかな次元ではあるけれど、震えた。
 クルーズ船がコンテナー船の作業中の現場を離れると、今度は羽田空港のひっきりなしに離陸。着陸がくり返されている今という時の今、に見入ってしまった。お客様のおかげでした。

 
 

 


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