ことのはスケッチ(397) 2012年(平成24年)新年

「伊藤宗一郎さん」

 アルゼンチンに長く住んでいた。タンゴ演奏者の友達もいる。せっかくアルゼンチンにいたのだから、私だって、タンゴを歌ってみなくてはいけない。
 ネットで「原語でタンゴを歌う」を見付けた。東京藝術大学を卒業され、藤沢嵐子氏に師事されたと言う山崎美枝子先生にめぐり会えた。
 はじめての教室、一番前の席におられ、後姿が微動だにしない白髪の紳士の存在に驚いた。
 タンゴを歌われるときの背筋が只者ではない。そして古典タンゴをスペイン語で頼もしく歌われた。日本にはこんな方がおられた。
 帰り道が同じだったから、道々お話を伺い、鉋(かんな)をつくる職人さんであることを知る。
 十三歳で父親に弟子入り、他の奉公人と同じ、土間で寝起きをし、半端なものを造ったら、薪割りで「パカン」と割られ薪にされてしまう厳しい鉋台造りの修業をされた。
 二十歳で徴兵検査、出征、昭和二十八年に復員。
 三鷹駅北口近くに、手づくり鉋など大工道具の店「やまあさ伊藤商店」を開く。
 「ゆるまない、狂わない」、寸分も狂わない名品を造り続けられ、武蔵野市の技能功労者と表彰され、昭和六十年、東京都優秀技能者表彰を受け、ずっと現役でおられる。
 上野の国立科学博物館の、鉋の出品承認願いを受け、伊藤さんの鉋は、博物館の恐竜の横に陳列されていた。博物館の改装により、現在は、歴史資料として収蔵庫に永久保存されている。
 博物館に鉋を納めてから、鉋の切れが悪くなってはいないか「研ぐ」ことを提案したけれど、一度納めたものは、作者にでも渡してはもらえず、伊藤さんは今も「切れ」を心配しておられる。
 鉋に興味があったら「店へ」と誘って下さって、三鷹へ伺った。
 超一流の鉋の美しさ、大工道具のディスプレイは神々しい。思わす拝んでしまう。
 道具を最高級の芸術品にまで導かれたチャーミングな奥様登美子さんと親しくお話出来た。
 作業をする床に二つの四角い穴をみつけた。
 鉋を造る作業は、両膝を痛め、壊し、大手術を経験された。手術前のように膝を曲げた作業の不自由に、伊藤さんは、両足の作業の位置の床に穴を開け、そこに足を入れ、今も鉋造りを続けておられる。近く九十才になられる。
 根岸の子規庵で、病の足をのばすことが出来ない正岡子規の、膝を立てたまま仕事をする、机の中程の切り込みを知ったとき。私の神様たち、人としての姿勢の究極を見せてくださった。
 これからもっともっと本当の日本を教わってゆく。アルゼンチン・タンゴに導かれて。

 
 

 


Copyright (C)2002 Yuri Imaizumi All Rights Reserved. このページに掲載されている短歌・絵画の無断掲載を禁じます。