ことのはスケッチ(401) 2012年(平成24年)5月

『あや叔母様』

 今から百年ほど前のこと、豊橋の飯村の地主、磯部英一、こう夫妻に、長女「よね」が誕生。後、男子三人、十年目に末っ子の次女「あや」の誕生。
 この姉妹の、たぐい希まれな美しさ、「どうしてこんなに美しい人が身近にいるのだろう」と物心ついた時から思い続けている。
 私の感覚なのだけれど、「ミロのビーナス」を少し日本風にしたような「よね」の奥深い美。
 「あや」は、「メリナ・メルクール」をやさしくしたような、外に発散する美。姉妹兄弟共に、日本民族の顔だちではない不思議。
 「よね」は幼少より文学に親しみ、短歌を詠む医学生、今泉忠男と婚姻。六人の子供の母となる。
 「あや」は、姉の文学と同じことをしたくないと「バスケット」を選び、昭和十五年、奈良で開かれた全国大会にまでも出場する活躍。背は高く、美しく、運動能力に長け、かつ聡明。名声は彦根城まで届き井伊家勘定奉行の家系北川の「日本一の花嫁探し作戦」に見い出され、懇願され、四人の子供 の母となる。

 夏休みになると御馬の海水浴場へ。あや叔母様に連れられた子供達と今泉の私達との交流。
 東京で板前修業をした料理屋の浜桟敷で味わった三河湾の魚。黒鯛のあらい、塩焼、潮汁…。生涯忘れられない味をいとこ達と共有するのでした。
 また、名古屋の北川家に泊り、中日球場での野球観戦。はじめて口にした美味の数々今でも身体に残っている。
 私は、母の松阪屋への買物にもいつも付き添った。あや叔母様のお家に寄れるから。
 その頃、北川家の北九商店は、イタリアの老舗とデザイン提携した袋物類を扱い、日本の流行をリードしていたのです。
 おばさまは「好きなの選んでゆきなさい」と言って下さって、選ぶのがうれしかった。そのハンドバックをもって、注目を集めていたのですよ。
 「アルゼンチンへ行こうかな」と言い始めた時も、叔父様叔母様、励まして下さって、実行しました。
 アルゼンチンより始めた三河アララギへの短歌や随筆もしっかり読んで下さっていて、叔父様は「この前の会合のスピーチで、由利の随筆を引用させてもらったよ」とか、コメントを下さいました。
 叔父様と叔母様とを、どんなに自慢に、どんなに心強く思って生きてきたことでしょう。どの場面を思い起しても、本当に素敵でした。
 つい先日。玉由の仕事、NY(ニーヨ)というアメリカの歌手のコンサートを、東京、名古屋、神戸で開きました。名古屋の時、玉由を連れて叔母様に逢いにゆきました。
 安心と親しみと、玉由のこれからに、素晴しい出会をよろこびました。
 叔母様は、WOWOWのNBA(北米のプロバスケットリーグ)をいつも見ておられました。玉由がWOWOWのひとつの番組をプロデュースしたことをお知らせ出来なくなってしまいました。

 
 

 


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