ことのはスケッチ(402) 2012年(平成24年)6月

『画廊ハウス』

 小学生の頃だった。「白だけで絵を描きたい」と母に訴えた。母は「試してごらんなさい、自分の思い道理に」と諭して下さった。
 自分がしてみたいことを、どんどん試してみるというが、インプットできたと同時に、「自身の試してみたことは、他人には訳の分らないことだから…」自分の内に仕舞い込む癖がついた。
 「油絵を描いてみたい」と言った時は、祖父が油絵道具一式を買って下さった。そして納屋から探しだした一M四方程のベニヤ板に「始祖鳥」のつもりを描いた。まだ始祖鳥の色などわからなかった時代、自分の心の色で。
 出来上った絵は誰にも見せず、ずっと自室の本棚の裏に入れておいた。
 東京に出てからは、教室に居るより外へ出て「沢山のことを見なさい」「移動には地下鉄に乗らないで、外の景色を見なさい」と言われる先生に教わり、忠実に実行していた。
 学生の身でありながら、三越に反物を卸していた手機織りの老舗に、“丁稚奉公”をし、トイレ掃除から…何もかも職人さんと一緒に過したこともあった。
 「確かな技術のうえにしか成りたたない」という自分の考えを実行していたつもりだった。
 その法で、南米の原始などの織り、染…を経験したく、日本の織、染、テキスタイルグッズを山程携えて南米へ出掛けたのだったけれど、原始系は無理だった。アルコール綿が入った缶を持たされて育ってしまったから。
 アルゼンチンのハイソサェティは、パーティばかりしていた。パーティドレスに直接染料で絵を描いてしまうことを考えつき、それには絵が描けなくては…せっせとアトリエに通う。
 まずドレスを着る人間を把握出来なくてはいけない。
 自分+椅子程の大きな裸婦像に取り組んでしまった。裸でこんなに大きくてはどこにも広げられないまま広げてない。
 白い紙に鉛筆だけで描くクロッキーが気に入り、アルゼンチン、ブラジル、スペイン、ロスアンゼルス、ニューヨーク…何十年?と描き続け、どんどん溜まる。「白い絵」とはこのことだったのかもしれない。
 そして気付いた。せっかく描き溜めても、災害とかでクシャクシャになってしまうかもしれない。私が死んでしまえば、ブルドーザーがきて終りにするだろう。
 生活を一変し、家に居ることを多くした。家の壁という壁、今まで描いてきたものを掲げ…とてもスペースは足らないけれど、しばらく眺め…取りかえたりすれば…。
 斯くして「画廊ハウス」。ワインを飲みながら眺めている。そしてまだ懲りない、これから動物クロッキーに取り組んでみよう。相撲クロッキーも興味ある。レディ・ガガさんのライブクロッキーも…試してみたいことがいっぱい。
 もし、「見てあげよう」と思われる方がおありでしたら、是非お訪ね下さい。一献をもち歓迎です。
 事前に03 −5924 −2065まで連絡なさって下さい。

 
 

 


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