ことのはスケッチ(405) 2012年(平成24年)9月

『川開き』

 享保十八年、水神様をお慰めする花火を打ちあげたのが「両国川開き」のはじまりです。
 昭和十三年より二十二年まで途絶えていたのを、江戸時代からつづく格式高い柳橋の料亭『いな垣』の稲垣平十郎さんが再興をされたのでした。
 時は過ぎ、孫の米山明子さんが、江戸小唄の市丸さんが棲んでおられた柳橋、隅田川ッ淵の日本家屋を舞台に「川開き」を催されます。
 去年の川開きに、縁あってお邪魔しました。
 隅田川と同化。安心のなかに帰りついたような、小振りの二段重に、美しさと、美味しさが詰め合わされ、お酒と川風と。人を持て成す心遣いがしっとりと伝わるのでした。もちろん今年の川開きにもお世話になりました。「この家で“ヨガ”をしてますから」と。隅田川を渡って来る風が心地良い広間での“ヨガ”に参加させていただくようになり、四〜五人のために先生が来て下さり、「何のための動作であるか」「骨格、内臓に至る説明をして下さる“ヨガ”」なのです。
 帰りには、何センチか背がのび、身も心も軽く、忍者になったように速やかに歩きます。

 外国住いから日本に帰り、「外国で出来なかったことをしよう」と、三味線と小唄をはじめました。
『柳橋から 小舟で急がせ 山谷堀 土手の夜風が……』
『夕立のさっとひと降り隅田川 涼しい風に稲妻が……』
 見知らぬことを唄っているのも能がないと、柳橋を確かめにゆき、神田川が柳橋をくぐり隅田川に合流するところ両国橋。ミヤコドリが飛び交って…。ここに何度もスケッチに通うこととなり、隅田川に架っている橋を全部描きたい、と思ってしまった。
 まず最初は、レインボーブリッジから、芝浦側からお台場まで歩いてみた。風がビュンビュン、車の轟、そのうえゆさゆさ振動した。この長い橋は晴海ふ頭まで離れて描いた。
 隅田川の川上に向かい幾月日。橋がはねあがる築地のところ勝鬨橋。住吉神社にお参りし、佃煮を持ち帰った佃大橋。赤穂四十七士は永代橋を渡って泉岳寺へ。中央のタワーからのワイヤーをいっぱい描いた中央大橋。水天宮の隅田川大橋。芭蕉像が川を見ている清洲橋。広重の「大はしあたけの夕立」新大橋。両国の花火。二代将軍秀忠の時代、94棟の米蔵があった蔵前橋。米蔵に米を運ぶ馬が沢山飼われていた厩橋。“どぜう”を食した駒形橋。出来たてビールの吾妻橋。「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしや」在原業平を偲ぶ言問橋。長命寺の桜餅をいただきながらスケッチした桜橋。白髭橋は白髭神社。ほんとうに在原業平が詠んだのはこの辺り。
 隅田川とは興味深い。スケッチをはじめた頃は、川土手は不法住いをしている人がいっぱいで描きづらかったけれど、いつの間にか素晴らしく変った。
 柳橋のヨガに通いながら、またたった今の隅田川を辿ってみようと思う。

 
 

 


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