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随筆> ことのはスケッチ(415)『グレート・ジャーニー』
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ことのはスケッチ(415) 2013年(平成25年)7月
『グレート・ジャーニー』
上野、国立科学博物館、私の処からとても近いから、しばしば出掛ける。
今回は「グレート・ジャーニー」人類の旅(この星の生き残るための物語)とのタイトに出掛けた。
見終ると、植村直己の経験や、私自身のアルゼンチンで出会えたセリーナさんとの見聞など、かなり“人類の旅”にダブって思われ、グレート・ジャーニーではないけれど、私自身が地球の上でしてきたことを振り返る気になった。
○小学校の入学式の日、忙しい母を気遣ったつもり「一人で行けるから」と出掛けたものの、迷った。満開の桜の木の下で泣いていたら、母が探しあてて下さった。私の一番はじめ
の一人旅。
○小学校低学年だった。父母が「東京を見ておかなけばいけない」と、三人年子の兄私弟を連れ、その頃、愛知県御津から東京まで八時間かかった汽車の旅。はじめて父母とずっと一緒にいられて“びっくり”したのを思い出す。道中、富士山から噴煙があがっていた。(それから後、富士山から煙がたちのぼる絵ばかり描いた)。“田子の浦…”の和歌を、父が教えて下さって、それから短歌が気になった。
東京での目的は、日本橋でエスカレーターに乗ること、銀座の夜の、ビア・ジョッキがビールで溢れ、零れるネオンを飽かず眺め、上野の西郷さんの銅像に会うこと、だった。
○小学生の時、一人で計画し、汽車に乗り、奈良の大仏様に会いに行った。どうしても会いたかったから。このときは、奈良の「土鈴」を、母に買って帰った。
○東京の学生だった頃、日本各地の織物、染物の伝統工芸士を訪ね、教わる、旅をした。自身の作品の他に、私のために染めて下さった着物、織って下さった着物…人生の宝の持主
になるのだった。
○学生を終えると、“自分の物”を全部積み込んだ船に乗り、地球を半周、四十五日間かかった。何日間も水しか見えなかったこと、そのころ、新聞が空(くう)
を飛んでくるファクシミリが出来、水の上で、簡単ではあるが日本の新聞を読んでみながら、停泊した数々の港は、すべて上陸探検…とはしゃいでいるうちに、住む所も、知人も、言葉も…何もなくて、日本から一番遠い距離の国アルゼンチンに着いてしまった。
「あまりに沢山船に乗ってきて、またすぐ同じ船に乗って帰るのが嫌だったから、何とかこの国で生きのびること、仕事をはじめること…テキスタイルデザイナーとしての図案を持参した先で、セリーナさんと出逢った。セリーナさんと出会えたから、アルゼンチンで生きてこられた。
つづく
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