ことのはスケッチ(418) 2013年(平成25年)10月

『グレート・ジャーニー』C

○ バナマ運河も見せなくては!日本から船に乗ってアルゼンチンへ行く時立寄ったパナマを歩いていた時、大きなトカゲ?小さな恐竜?。こんなの子供達に見せたかった。コスタリカ、ニカラグア、グァテマラ、メキシコ…そしてマイアミ。

○ イタリア、ミラノからスイス、フランス…地中海に面した道をドライブし、スペイン、ポルトガルの最先端ロカ岬まで。国々、国境宿る、食する…全部伝えたつもりだったけれど、子供達は、ずっと車の後部座席で眠ってばかりいた。

○ 私と同じ日本語をつかうように、アルゼンチン生れの子供達の中学の三年間を日本に留学?。日本在のインターナショナル・スクールに通わせたけれど、ここで本当の日本人にも育った。

○ 高校三年間は、カリフォルニアに英語留学。車に乗らないと何も出来ない所で、子供達の留学サポートに私のフリーウェイ走行距離は月にもゆける、三十八万キロになっていた。その後、フランス語のためスイスに留学。後は、子供達が自分で自分の場所を選んだ。

○ あまりに可哀想で、記憶を消してしまいたいと思うけれど。目指し、努力したから、書き残す。「アルゼンチンで生まれたから、アルゼンチンを代表してオリンピックにゆく。」と決めた。しっかり努力ししっかり実行した。全ての手続きを終え、選手村で過していた時、「アルゼンチンの書類が不備であるゆえ、競技に出られない」と知らされた。
今でも、気が狂いそうに、子供達にごめんなさい、と思いつづけている。

○ アマゾン河筏下りを終えた植村直己さんがアルゼンチンの私の家に来て下さっていた。アマゾン河での困難と孤独と恐怖と…それにうち勝つ知能、工夫、勇気、やさしさ…深い瞳。この人に出逢えたことも、失くしたことも、まだ理解できていない。
後に、彼が下ったアマゾン河を見に行った。理解出来ない 大河だった。源流から河口までなんて、そんなことをしてしまった人、出来てしまった人。
アコンカグワや南極や…そんなすごい冒険への思いを私にも分けて下さった。

○ アルゼンチン・モレノ氷河へは、セリーナさんと出掛けた。「温暖化で無くなってしまうかもしれない。」「スケッチをしょう」。
史上最大級百トンもあるアルゼンチンノサウルスなど化石がいっぱい埋まっているだろう大地の上を飛んで、南極の方向。鋭くとがる山々のふもと。アルゼンチン湖。
氷河に近付き、舟でうんと近付き、氷河が崩れる波にゆれ。漆黒の闇から氷河が崩れ落ちる今まで聞いたことがなかった音を幾夜も聞いて過ごした。

○ ブラジルでの仕事に、アルゼンチンから飛行機に乗ると、イグワスの滝の上を通る。途中下車(?)して、何度も滝に近付いた。とにかく凄い。びしょ濡れになって虹の中にいた。
満月の夜、雲になった水みずしぶき飛沫に、月の光が虹をつくる。夜の虹のもとにも居合わせた。
                                 つづく

 
 

 


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