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随筆> ことのはスケッチ(423)『貫名海屋 私注』B
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ことのはスケッチ(423) 2014年(平成26年)3月
『貫名海屋 私注』B
亡くなった母は、お寺様より「蓮月」という戒名をいただきました。呼び慣れた母の実名でないのが、とても寂しかった。けれど気付いた。
幕末から明治にかけ、美しい歌人「太田垣蓮月」のおられたことを。
学生時代、たまたま入った骨董屋でみつけた。蓮の葉が受ける形の手に載る器、釘で引き掻いたような、美しい仮名文字の和歌が書かれていた。思わず買ってしまった。
後になって知るのだけれど「蓮月尼手ひねり」でした。
一人で部屋に籠っているときは、この器で、蓮月尼を心にいっぱいにしてお酒をいただくのです。
蓮月尼と同時代、同京都、同芸術家…。その時は、書家として大きな名になっていた貫名海屋が、微醺をおびると、常に吟じたという。蓮月尼の和歌
○山ざとは松のこゑのみきゝなれて風ふかぬ日はさびしかりけり
蓮月尼は、貫名海屋に書を習われたという。芸術家同志の心のふれあい!美しい。
富士山の噴火口。ものすごい勢の絵に出逢った。富岡鉄斎座右の銘「万里の路を行くは画人たる第一歩」。
鉄斎は、富士山に登頂されたのでした。
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