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ことのはスケッチ(427) 2014年(平成26年)7月
『貫名海屋 私注』F
『筆塚』
伊藤若冲碑、所在、京都市伏見深草石峰寺
(14)(15)中国の昔の名画家といわれた顧、陸、呉、李、のごとく、その心持ちも非凡な腕前も、人知でははかれない神の域に達していた。
(15) 仏教の経典に説かれる「変相」。極楽浄土の荘厳、地獄の形相を描き示し。
一切の現象は刻々移り変わるものであることと描きだしている。
(16) 空間の時と、無限の広がりにおける神秘を明らかにしている。
(17) 技法もここまで極まった。
(18) 後進の者は、次々世に出てはくるが、自ら進んで後に従おうとは望まなかっただろう。
(19) もし、自分自身をむち打ち、精進する人がいて、理想を求めることを止めなければ
(20) その勢いは、必ずこの偉大な思いに至るにちがいない。
(21) 若冲居士は、そうした思いを、無欲に心静かに、無形無象としての石像に託した。
(22) あの石像の意図するのは、特徴、属性の有無、姿形、様相の有無の間に、
(23) 変化極りない、種々様々な光が現われ、
(24) 奇異なことも様々に変化してゆく。
(25) ただよう雲、流れる水、一つの所を選び留ることがないように。
(26) たとえ道を得た変化自在なる者が、物の変化を描く筆法があったとしても、
(27) 究極まで突き詰めることはとても出来ないだろう。
(28) 有相(特徴のあること)は、無相(特徴の無いこと)を極めることが出来ない。
(29) 無相は、有相を極めるのに十分なのである。
(30) それゆえ無相の石像に、ことよせようとしたにほかならない。
(31) 若冲居士は、当初石像を庭先に置いた。
(32) 絵を求めに来る者がいれば、
(33) その都度、その描いた画を一枚出し、石像制作を広げていったのだった。
(34) それから間もなく、俗世を避け、頭髪を剃り、残りを縛り束ねていた。
(35) 石峰寺石像近くに、草庵を結び、一枚の画を一斗の米と取り換え、最後まで、その身をささげたのだった。
(36) 若冲居士の心が「奇」であると、そう評するに値する。
(37) 遺言には、墓は筆形にする、画に対する若冲居士の心を意識しないではいられなかった。
(38) 庚寅(文政十三年、一八三○年)の秋、都に大地震があり、倒壊したものも多く、阿羅漢石像も被害を受けた。
(39) 葵己(天保四年−一八三三年)、若冲居士の後裔の清房は、もとどおりに修復をした。
(40) 私に、その事の次第を墓碑に書き付けさせました。
(41) 若冲居士には,血筋の者がありました。
(42) 貫名苞(貫名海屋)撰。
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