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ことのはスケッチ(429) 2014年(平成26年)9月
『貫名海屋 私注』H
お濠に面し、帝国劇場ビルの9階にあり、皇居外苑を望むロビーは、静かに鎮まる、出光コレクションを展示する出光美術館に於いて、幕末、明治、大正を活躍した「富岡鉄斎の没後90年展」が開かれていた。
今までも、今も、いつもいつも、この美術館に来て、時を過していた。そして今また、富岡鉄斎に浸る。
富岡鉄斎三十二歳の俳画、大田垣蓮月七十七歳の自筆和歌。この二人の合作になる「十二ヶ月図」。(三河アララギ八月号 「貫名海屋 私注」Gに掲載) 素晴しい融合に、お互の信頼が思われ、立ち去り難い。
大田垣蓮月、四十二歳の夏、養父が亡くなり、それまで庵居していた知恩院を離れ、京都岡崎へ、北白川、聖護院村、西賀茂…と移り住み、当時京都を代表する文人達、貫名海屋、田能村竹田、円山派画家の中島華陽、宮中歌人の税所敦子、歌人の小沢蘆庵、本居宣長、上田秋成…目眩くばかりの交遊。
影響を受け合い…。そんな様子を思いえがきながら、鉄斎の一作、一作、見入る。
帰りがけ立ち寄ったミュージアムショップに表示があった。「鉄斎画の魅力」笠嶋忠幸博士の特別講義(大学レベルに準ずる)という。申し込みをした。
後日、休日の美術館内での講義だった。
膨大な資料より、研究され尽くされた本当のことをお教えいただく講義は、独り善がりとは異なる、“力強い鉄斎”を感じるのでした。
休憩中の雑談から、笠嶋先生が「鉄斎が、貫名菘翁(海屋)の肖像画を描き、菘翁に届けた」という件くだりがあり、飛び上るほどびっくりした。
「貫名菘翁書画集」田中双鶴編の最初のページに「貫名菘翁書見之図」谷口藹山画とある。
「海屋の自画像はないきだろうか」「背景が少し異なる同類の画」もあり、なんとなくミステリーだったのが、先生は「その画は、鉄斎が描き、海屋の弟子の谷口藹山が模写したのですよ」と教えて下さった。
鉄斎の「蓬莱仙境図」に似た構図、菘翁の書を読む姿」。
やはり、交互する付き合いの深かったことを確信した。
蓮月尼は、海屋から「書」などの影響を受け、海屋は、お酒を酌み、微醺を帯びると、蓮月尼の「山ざとは松のこゑのみきゝなれて風ふかぬ日はさびしかりけり」この歌を低く吟じたという。
私も、蓮月尼手びねりの蓮の葉の型に和歌の彫られた酒盃をもちだして参加しよう。
鉄斎画の貫名海屋肖像を眺めていた。気付いた。私の知っている顔、貫名泰比古も(後の高山泰比古)に似ている。
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