ことのはスケッチ(443) 2015年(平成27年)11月『天田愚庵』I 年譜
雛雀 明治三十五年(一九○二年)愚庵四十九歳 親を恋ひ泣くか子雀久形(ひさかた)の雨にぬれつつ鳴乎(なくか)子雀 明治三十六年(一九○三年)愚庵五十歳 子雀はこの降る雨に立ちぬれて親鳥呼ばふ声を限りに ふる雨を若葉の木ぬれぬれそぼち子の餌もとむる親雀かも 立ちすがり尾羽かきふる子雀を親をめぐしと餌とりくらしも 細才千足(くわしほこちたる)の国の武夫(そののふ)の磨ける業(わざ)を見らくし楽し薙刀 横になぎ縦にも薙ぎつ薙刀の長柄の手振少女よろしも 鎗術(槍術そうじゅつ) 突き出す鎗の長鎗短鎗やりもすごしつ突きもとどめつ 鎖鎌(くさりがま) 右に撃ち左に掻(か)くはくさり鎌首かきたりや音のさらさら 馬術 風にきほふ甲斐の黒駒綱たたば空の上にも行かむ黒駒 丈夫はほろ引き流し荒駒のあし毛の駒に乗りつつぞ行く 命全(いのちまた)く長く垂らさまく天地(あめつち)に祈れもろもろ摩詞般若波羅密 雪の下に竹は伏すとも冬籠り春たたむ日は起き立たむ日ぞ 霊屋(たまや)には魂(たま)はまさめどその人の目にし見えねば悲しかりけり 手向けむと手折りし花の露散りて形見の衣ぬらしつるかも 如何にして君はますらむ荒全の地(つち)さけて照る今日のあつさを 如何ならむ神の恵か我はしも今年ばかりは夏痩せもせず 天地の別るる時の其姿かくしもあれやこの瓢(ひさご)これ 梅の花咲けるを見れば打靡(うちなび)く春は来ねども楽しけむかも み仏に手向けしあとの梅の花誰にしやらむ君にしやらむ 秀枝をば仏に手向け下枝(しずえ)をば君に見せむと今朝ぞ手折りし 梅の花かざししあとは床の間の小瓶にさして猶(なお)しばし見よ 床の間に置きても飽かば朝日さす軒端にかざせ鶯や見む 大君は神にしませば呉竹の伏水(ふしみ)の山を庭とつくらす 君のめでは広愛春されば御園の梅を民にゆるしつ 玉敷のみ庭にあまる春風に賤(しず)の園生(そのふ)の梅も匂へり 春の日の光を仰ぐ民なれば伏見の里と云ひならしけむ 物部(もののべ)の八十氏川(やそうじがわ)に立ち向ひ咲けるか春のさきかけの花 梅の花散りもはてぬに見し人の野辺のけぶりと消えにけるはや かさねきて独り眺めつ梅の花昨日は君と見つつめでしを あたし野の露と消えても今更に空しき人と我思(わがも)はなくに 諸越(もろこし)の文字かく聖(ひじり)[王義之]古に愛でけむ鳥ぞはしきこの鳥 百千々の文字にも代へて此鳥を君子飼へりうつくしの鳥 うらうらとてれる春日に鵞の鳥の玉水かづき遊ぶよろしも 鵞の鳥を我がうつくしみ今日もかも池のべさらず見えつつ暮しつ 尋(と)め得ざる親をなげきし人の手になでて光沢(つや)づきのこる木の犬 さんねいが結縁をして彫る犬のおのづと人に顔似たりける 眉ふとき愚庵をおもへばすみ染のころもの膝に犬をだきたる 枕べに木彫の狗はひと日居れ病のひまに手をのべて撫づ 伝はれる木彫の狗子は愚庵和尚が撫でて艶づき生ける如しも 愚庵は『東海遊侠伝』(次郎長物語)の原作者。清水次郎長を世に知らしめたが、講談や大衆的読物に隠れた。 良寛・愚庵・子規・伊藤佐千夫・島木赤彦・斉藤茂吉… 終 【参考資料】 |
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