ことのはスケッチ(448) 2016年(平成28年)4月
『蒲の穂』
三河湾の海辺。百メートルに少し欠けるけれど大恩寺山もあり。音羽川の土手には、持統天皇がここに来られた大きな石碑がある。
朝早く、蓮の花が開くのを見にゆく池。蒲の穂が直ぐ立つ沼。夕刻、からすうりの幽玄白い花を見にゆく生け垣。
小学校への通学路は、桑畑。野菜畑。麦畑、田んぼ。花畑。畦道の四季折々の草々花々。
祖父の開業医を父が継ぎ、祖父は裏庭にみかん山をつくり、その向こうを畑にした。季節季節の野菜、花々を育てていらした。私は、祖父の後をついてまわり、麦まきをした。麦踏をした。さつまいもの葉っぱを挿し、じゃがいもを半分切りし、灰を付けて植え付けた。へちま棚も、藤棚も゛それぞれの花が咲き実ってゆくのだだった。
かぼちゃの花が咲き、毎日毎日大きさを増した。
学校へゆく途中の大きな屋根の、その上に小さな屋根があり、蚕を養う家だと知る。どうしても行ってみたく、母に頼んで、一緒に訪ねたことがあった。
大きな屋根の家の二階に、竹で出来た大きな笊(ざる)(?)が何段にも、蚕棚になっていた。蚕が桑の葉を食べていた。
紙箱に“横白色”の小さいつぶつぶ蚕の卵をいただいて帰った。自分の机の一番大きな引き出しで飼うことにした。黒くて長い毛の生えた幼虫がいっぱいになった。せっせと桑の葉をいただきにゆき…脱皮して白くなる。脱皮をくり返し、動かなくなった。白い糸を口から出し、繭をつくりはじめる。まっ白い繭になり、美しい光沢、本当にうれしかった。繭を喰い破り、“カイコがでてきた。びっくり仰天。引き出しを庭に出し、飛んでゆきなさい!
キャベツ畑から蝶の蛹を沢山集めて、やはり引き出しに入れ飼っているつもりになっていたことがあった。引き出しは半開きにしておいた。学校から帰ると部屋中を紋白蝶が飛んでいた。
蒲の穂も好きだ。なんといっても、大国主命の、白兎の大怪我を直されたこと。
外国に住むようになり、行く先々の国々でも蒲の穂に出あえることがあった。
幼かった日が蘇り、「こんなことをしているよ」と、父母と話をしているような気がして、天涯孤独より救われた。蒲の穂は、私の心の傷を直してくれる。そんな薬効があった。
今、白金台、国立科学博物館附属、自然教育園の水生植物園へ、蒲の穂に会いにゆく。その時々を、一年を通じて見守っている。
今の季節、蒲の穂は白く蓬(ほほ)け、爆(は)ぜたよう。細い綿毛の一本一本に小さな種をつけて、春になった風にのって、どこへゆくのだろう。
蒲の穂の、一番上の方に雄花が咲き、その花粉に薬効があるのだという。
蒲の穂を敷き、その上を転がり花粉をつけ、そして皮膚はもとの白兎。穂綿には薬効は無いそうだが、ふわふわと気持良く、布団にするのが良いそうだ。
今も“目の色を変えて”木々草々と遊んでいる。
|