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ことのはスケッチ(449) 2016年(平成28年)5月
『セバスティアンとニノ』
アルゼンチンに辿り着いてしまい、途方にくれていた私を、彼女の“娘”と受け入れて下さり、アルゼンチンでのことごと、地球に生きる人間であること…教え導いて下さったのはアルゼンチン国の創始に関わる家系の“セリーナ・アラウス・ペラルタラモス・デ・ピロバーノ”さん。
アルゼンチンのナースの頂点におられ、国の内外にわたる活動、室内装飾家としても頂点の方でした。
大きなミサが行われる時には、セリーナさんが祭壇を作られました。その時は、私も手伝わせて下さるのでした。
セリーナさん一族の広大な牧場に住み、犬を追いかけるセバスティアンは、本当に可愛らしかった。セバスティアンを保育していた“マルガリータ”が、私の“赤ちゃん”のために、きて下さることになり、同じ家に住み、セリーナ家式に、私の子供達を育て、見守って下さったのでした。
マルガリータは、パラグヮイの人でしたから、古いパラグヮイの言葉、ワラニー語でも子供達が育てられたことをとてもうれしかった。
子供達が、アルゼンチンの小学校を終え、日本へ留学する、その日まで。
子供達の日本留学中、セリーナさんは、アルゼンチンから、日本までの「長い旅」を何度もされて、私の日本を“知る“努力をして下さるのでした。
私の父母の家。言葉は通わないけれど、やさしい空気に包まれて、皆で「同じ心」になるのでした。
セリーナさんの甥、私の子供達の“兄”にあたる、セバスティアンとニノ。日本まで、逢いにきてくれた。以前の来日では、何もかも、御膳立てし、先導したのだったけれど、今回の彼等は、事前に、ゆく先々の宿の予約も、興味への予約も、出来ていた。
日本語で書かれた、メニューや記事など、iPad で写し、写った所を指で“なぞる”と同時に、スペイン語に翻訳されている。
スペイン語を入力して、日本語の音声ボタンを押すと、ケータイが日本語を話す。
それを「まね」して言ったり、見てもらったり、聞いてもらったりして、ほとんど同時に意志を伝えあえる。
世の中、こんなことになっていた。私は、辞書を引き、スペイン語を思い出し・・・メールしたり、連絡したり・・・とても努力が要った。もう努力はしなくても良くなったことを教えてくれた。
京都、奈良、宇治、大阪、日光、熱海、東京の名所旧跡。日本の桜の季節に合せて計画をしたという、東京中の桜の名所を、ことごとく。
桜の蕾から始めて・・・満開に至るまで、花吹雪も。
セリーナさんのこと、アルゼンチンのこと、沢山話し、思い出し、セリーナさんと同じ温度を伝へてくれて。
地球の上の、私の宝を。あらためてまた、私のものに。
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