ことのはスケッチ(451) 2016年(平成28年)8月
「円空僧の和歌」@
「物を増やさない」と決めているこの頃だけれど、近道として分け入った「古書市」の夥しい書籍の中の一冊、『円空』に立ち止った。
思わず懐き持ち帰った。生涯をかけての憧れが迸る。
ナタ彫の一刀一刀の美しさ。鋭さと、優しさと、温かさと、気高さと・・・寄り添って甘えたくなる。
円空は江戸初期(一六三二年)美濃国に生れた。生涯十二万体造像の願を、諸国を遊行、布教にて神像、仏像を残し、元
禄二年(一六九五年)、六十四歳、自ら食を断ち、即身仏入定された。
松前藩の統治はようやく、先住民族とのトラブルの多い、天変地異の北海道に渡り、神や仏の大慈を布教、観音像を彫る。
津軽では、義経寺の観音像を彫り、秋田、愛宕神社・十一面観音。名古屋、尾張、美濃、熱田神宮・白山神社の御神体を。黒地神明社、天照大神像。美濃加茂の洞窟に馬頭観音。
日本仏教のふるさと法隆寺にて、大日如来像。
飛鳥仏、天平仏に親しみ、ここ以後、左右対称の衣紋や飛鳥様式の像を彫る。この時、和歌を詠む。
○万代に目出度き神の在して名を九重のいかるがの寺
法隆寺を下山し、美濃に帰る。長滝寺に十一面観音を。八坂神社の御神体、牛頭天王像を彫る。
奈良県吉野郡、栃尾観音堂へ、聖観音、弁財天女、金剛童子と護法神。本尊聖観音背面に金剛界五仏の梵字と円空の花
押を書く。
大峯山は天台、真言の修行場、荒行の最中に阿弥陀如来像。森本坊の観音像。山上の本堂に祀られる。
○大峯や天川に年をへて又くる春に花やみるらん
○昨日今日小篠山に降雪は年の終の神の形かも
○こけむしろ笙の窟にしきのへて長夜のころ法のともしび
○しずかなる鷲の窟に住みなれて心の内は苔のむしろに
大峯山を下り、志摩半島へ。同地に伝わる「大般若経」を補修する際、表紙の裏に、円空自作の和歌の書いてある紙を貼
り込んだ。その和歌の数は千五百首に及ぶ。その際、五十四枚の大般若経守護の「十六善神図」を描き、貼り加えた。
釈迦如来を中心に安置し、左に文殊、右に普賢、脇に大般若経の伝来に縁深い菩薩たちの法涌、常啼、深沙大将、玄奘三
蔵を対に、その周囲を十六善神が護る。
円空の描いた五十四枚の一枚目、二枚目・・・と順次省略された見返絵となり、以後の円空の彫刻となる。
つづく
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