ことのはスケッチ(453) 2016年(平成28年)10月

「詩吟修得合宿」

 訳知らぬまま「家元制度」の「詩吟クラス」の末端の「教場」に潜り込んでいる。
 先生と生徒三人。あまりに「心許ない」と他の教場から援助参加をして下さって合計六人。
 発声練習と、今までかって「こんな大きな声を張りあげたことはない」と思いつつ、漢詩というを知りはじめているところ。
 毎夏、長野の山荘に籠られるという先輩。「置いてきぼりにしないで下さい」とばかりに、彼女を別荘まで追いかけてゆき、三日間の「詩吟合宿」と相成る。

 まず初日、上野近くに住んでいて、ほどんど毎日通っている上野駅なのに、新幹線の乗り場所が見つけられない。とにかくわかり難い。はやばやと上野遭難。常々、一人旅に慣れているから何が起っても自分の範囲だけれど、今回ばかりは団体行動だから、あせる。ようやく東京駅で乗る…大宮で乗る…詩吟クラスの皆と一緒になれた。

 せっかくの同じ方向なのだから、まず「上田城」を訪ねる。上田駅、全員の荷物をロッカーに詰め込む共同作業より開始。
 私にとって上田とは“上田紬”“ 蚕都(さんと)上田”。はじまりは五〇〇年を越え、生糸に適さない屑繭を真綿にし、それを紬いだ紬糸で自在に織る。“上田紬”を有名にしたのは、真田昌幸、幸村父子。「真田も強いが上田(紬)も強い」と。学生時代にここに来たはずなのに…こんなではなかったと思ってしまう町の様子だけれど、大きな道路の両側に、並木となって植えられている“枝垂桑”がうれしい。蚕がすくすく育ちそうな、やわらかくおいしそうな葉、小さな小さな実も成っていて。もうすぐ人間にも美味しく実るだろう。
 むかし、祖父が聞かせて下さった、真田十勇士の活躍が、おぼろおぼろによみがえってくる。
 お城、堀、石垣、櫓、駕籠、鉄砲、人と人と殺し合った武器…いろいろなことが、時代が。覗き穴、覗き窓、恐しいことはぬきにして、覗く景色のおもしろさ、ひと味異なることにはうれしくなった。
 櫓のすみっこに、古びて毀(こわ)れた鯱(しゃちほこ)をみつけた。元文元年と書かれる。元文とは桜町天皇の年号、幕府では八代将軍、徳川吉宗の時代。いまから二百八十年前の作品。可愛らしく、ユーモラスでありながら上品で、いったい誰が作ったのか。抱いて帰りたい衝動にかられる。
 そして、後に上田藩主となった「松平氏」のこと。私の生まれた三河に在住した松平宗家(後の徳川氏、家康より四代前) 分家独立。上田藩主としての七代の間には、ペリー来航。幕府の老中を勤めた。今から六〇〇年前、三河は、徳川三〇〇年の礎となった松平氏発祥の地。
みかわに、「松平姓」は名のらず、「平松姓」となって今も「祖」を守る人が多くいることを思い出した。
 上田城跡、この近くの牧場からの牛乳でできた「ソフトクリーム」をいただく。やさしい美味しさに驚く。沢山歩き、沢山詰め込んだ疲れは吹きとんだ。

 上田駅から、いよいよ「しなの鉄道」に乗る。地図でみると、千曲川に添うかたちで運行されている。電車の窓から、千曲川が見えるだろうかとキョロキョロする間に目的地、無人の駅に着く。備えつけの箱に、乗ってきた切符を入れる間に、「お待ちしておりました」とタクシーに立派に迎えられた。
 いよいよ先輩の範囲に分け入ったことを知る。
 車は走り出すとすぐ、稲穂を垂れはじめた田んぼ。巾の広い階段を登ってゆくように、ひと田んぼ、ひと田んぼ…ぐいぐいと山に登ってゆく。リンゴがなっているリンゴ畑。とうもろこし畑、キャベツかな。白土馬鈴薯かな。クルミの木があちこち、初々しいイガイガの栗。上田でそうであったように桑の木がめだつ。アララギの木に赤い実が透き徹る。
 作物の景色に感嘆している間に、両側からの木々草々にかこまれて、木木深くのトンネルに入ってゆく。どんどん狭く急坂となり、道が終る所。グリム童話に入り込んでしまったかの。
 先輩の山荘。ここにて合宿させていただく。
 見渡す限り山山山山。私達以外の人影、家影、何もなし。ただただ、今の季節の木々に覆われているばかり。空気が美味し い。水が美味しい。心が優しくなってゆく。
 土より生える草の上で、バーベキューを。この土地の牧場の肉、この地の野菜達は、カボチャ、パプリカ、アスパラガス、ナス、ネギ、ズッキーニ…残り火でサツマイモが焼ける。この地のビールでいただくのだった。

 一階の居間は、三階まで吹き抜けていて、この深い山の中で、最先端の生活が出来る。此処は天国と表現するのがあっている。
 来客用の二階の部屋に二人、別棟の家に二人、居間の横の和室に一人。皆、それぞれの部屋があり、戸を閉めれば一人になれ、戸を開けて、皆一緒になり。
 台風が来るという星のない夜、家の電気を消すと、もう明るさは何もない。このまっ暗闇、厚みというか深みというか純粋の黒。今まで一度も味わったことのない“純黒”のなかで、何も見えないことを知る。“黒”が好きだから、しっかり黒につつまれて、安心しきって眠った。

 土釜で炊いて、少しおこげのあるご飯と、しっかり出汁の、豆腐のおみおつけ、サラダの朝食が済むと、いよいよ漢詩吟の時間です。ひと匙づつ“カリンあめ”をいただいたのはいつもとちがう朝でした。さあ良い声がでます。柔軟体操、ストレッチをして、発声練習もあり、準備はOK.
『岳陽楼に登る』杜甫
昔聞く洞庭の水 今上る岳陽楼
呉楚(ごそ)東南に圻(さ)け 乾坤(けんこん)日夜浮ぶ
親朋一字無く  老病孤舟有り
戎馬(じゅうば)関山の北  軒に憑(よ)って涕(てい)泗流る

昔から洞庭湖の眺めの素晴しいことを聞いていたが、今初めてここに登り、噂どうりであることを知った。楼上から眺め ると呉と蘇の地都は東と南に裂き別れて、果てしなく広がっており、この広大な洞庭湖の水面には、天地の全てのものが 昼も夜も、その影を映している。

 湖ではないけれど、深い自然にかこまれてこの漢詩を吟ずると、同じ心になれたようなそんな気持になってしまう。
 吟声が、まわりの木々に草々に沁み、そして天空に消えていった。清々しくも素晴しい経験。

 お昼ご飯は、ひやむぎ、野菜サラダ、野菜のテンプラ。トリの唐あげ。
 メニューも支度も、全て先輩がして下さいました。丁寧に素材につきあっておられるのを学ぶのでした。

 車で上ってきた道を歩いてみたくなり、家に残る先輩に、細かく道を教わり、「皆でゆけば恐くない」と散歩に出掛けた。背丈より大きくなった野薊に近づく。暗緑色の大きな棘の或る葉っぱにさわってみる。紅紫色の花の構造におどろく。アルゼンチンでは、牛達が大木のような薊を食べるというけれど、棘はどうするのだろう。朝鮮薊という、アーティチョークは、大きな薊の花が咲く前を食するのだけれど、私は、アーティチョークの季節がくるのが待ち遠しいほど大好きな食べ物なんです。野薊も、きっと美味しく食べられると思う。
 段々田んぼに近付いて、お米が稔っているのにワクワクしてしまう。田んぼの脇を小川(用水)が勇い良く流れてゆく。こんなに水が沢山あり、なんて豊かな土地なんでしょう。小川は千曲川へと合流するのだろうか。
 アララギの垣根に住んでいる家をみつけた。山でなくては素直に育たない、というアララギの木が、あちこちに見られ、「良いな良いな」と思う。
こんなことして歩いていて、皆で迷子になった。探しても探しても、先輩の家に帰る道がみつからない。電波があまり届かない山の中から、先輩に助けを求めた。そして探し出していただいたのでした。

 帰らなければいけなくなった日、駅へゆく途中の「リストランテ・フォルマツジオ」へ昼食に。こんなに清々しい空気のもと、絶対に美味しいと決めていたチーズの清らかさ。雑味のない、本当の味だけして。このチーズに出逢えたことを感謝する。

 沢山の「素晴しい」をしっかり心にもって、先輩ありがとうございます。詩吟クラス、ありがとうございます。

 
 

 


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