ことのはスケッチ(458) 2017年(平成29年)4月「私の短歌」『時習館かんさい31号』への原稿。 アマテラスは、水田で稲を育て、織を織る。残酷で怒りっぽりスサノオの仕業に怒るアマテラスは岩屋に身を隠す。世界は暗となり、太陽の必然を知り、農耕、豊穣への母なる女神、天照大神の記録された日本のはじまり。 岩屋から、天照大神を誘いだした「スサノオ」は、大蛇を退治するなど英雄になってゆき、スサノオが花嫁に宮殿を建てるとき詠んだ和歌。 「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を」 戦い、迎撃、滅ぼし、苦闘を経、大和平定に至り、畝傍の橿原宮で即位され、日本の紀元元年となった。大和平定の戦闘の和歌。「神風の 伊勢の海の 大石に 這(は)ひ廻(もとほ)ろふ 細螺(しただみ)の い這ひ廻り 撃ちてし止まむ」 「みつみつし 久米の子等が 粟生(粟畑)には 韮(かみら)一茎 そねが茎」 建国という偉業を成しとげられた後、伊須気余理比賣の許に行幸され、一宿御寝されたときの和歌 「葦原の しけしき小屋に 菅畳 いや清敷きて 我が二人寝し」 この治世、中国の文献に「邪馬台国」と重なる。太田田根子をもって、大神(おおみわのかみ)(三輪明神、大神神社)を祭る、この日に、活日(いくひ)(大神神社の神酒を醸造する人)自ら神酒を天皇に奉った。「味酒(うまさけ) 三輪の殿の 朝門にも 押し開かね 三輪の殿門を」 歌とは、歌人の直感、心の内をとらえたものであり、妙技をひけらかすことではない。「体験への忠実さ」が、初期の歌から重視されていることを知る。 日本の国のはじまりから存在した和歌の存在、和歌のリズムに携わってこられたことを、心の底からうれしく思う。 家柄も良く、武芸に秀で、容姿端麗…にもかかわらず、世を捨て、高野山に草庵を結び自由になるために自由を得て詠んだ歌。 「惜しまれぬ 身だにもよには あるものを あなあやにくの 花の心や」 「春風の 花を散らすと 見る夢は さめても胸の 騒ぐなりけり」 定家の日記風エッセイに、ひとつめの超新星の記録、一〇〇六年五月一日、深夜、南の低い空に出現した大客星、半月くらい明かるく輝いたと。 一〇五四の客星出現記録は、世界で初めて歴史に記録された超新星と認められた。定家が陰陽師・安倍泰俊から聞きとった古い記録を書きとめた。 一一八一年八月七日。超新星残骸、超新星爆発について書かれている。 「新勅撰集」、権中納言定家の和歌。 「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」 江戸初期(一六三二年)美濃国生まれ 生涯十二万体造像。神像、仏像を彫られ、歌を詠むことにより、神や仏の魂をやすらげ、人間の願いも叶うであろうと、彫られた神像、仏像それぞれの和歌を残された。 「作りおく心の神の形ならぬ世にうつくしき玉の言のは」 「幾度もたえても立つる法の道五十六億の世までも」 「木にだにも御形移(みかげをうつす)ありがたや法の御みこえ音は谷のひびきか」 「これや此くされる浮木とりあげて子守りの神と我はなすなり」 「わが母の命に代る袈裟なれや法のみかげは万代をへん」 |
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