ことのはスケッチ(302) 2004年2月

香港・マカオ・西安・北京

 
 

常の日々、それぞれの処でそれぞれのことをこなし、年末年始は共に過ごすことをせめて我家の年中行事にしている。 2003年の終りと2004年を共に迎えるため、うちの子みたいなアメリカ人のTAMARAと玉由と由野とが日本の私の家にやってきた。それは、中国へ行こうという今回の旅のはじまり。 日本の言葉との大きな係わりのある中国で、言葉について考えてみたい。兵馬俑を本来の場所、発掘現場でみてみたい。万里の長城を、皆で一緒に歩きたい。20年もまえのことになってしまったけれど、アルゼンチン生まれの子供達にアジアを見せたく、香港、マカオの旅に出掛けたことがあった。香港に着くなり、夥しい光のすさまじさに慄き、二人揃って「帰りたい」と叫び続けたので、香港は端折り、マカオには行かないで、帰ってきてしまったことがあった。ポルトガルの名残マカオへは是非行きたい。由野のインターナショナルスクール時代の友人達が、世界各地にいて、今回は香港の友人に会いにゆくという。土屋文明先生の「韮菁集」に浸りたい。などなど。 寄せ集めの目的と、変則グループの中国行きと相なった

 

まず、香港に着く。ツアー旅行のように添乗員や通訳がいるわけではないので、自身が気になったことしか見えない、嫌いなこと、困ること、は避けて通り、"知る"とはおこがましいけれど、自身の容量に甘んじ、その範囲でもせめて"見聞"に参加出来るよう、なるべくタクシーばかりに乗らず、積極的にフェリーを利用し、歩き、香港の人々に近く、香港の景色の中に入り込む。香港の美術館。中国の現代アートと長い歴史を担う重厚な工芸、今と昔の大きな違い。とてもとても興味深い

 

香港からフェリーに乗って、マカオへ。
聖ポール天主堂、跡といえどもポルトガルが大きく残るみごとな建造物、教会・・・などなど、いつかどこかで、出合ったような、昔のままが保存されている路地を伝う、昔から続く生活が続けられていることが垣間見え、少し分け入った食物事情。とにかくとにかく歩き廻り、博打などはせず、永久保存写真が沢山残った。
香港から中国本土深センへは、またフェリーで移動する。いよいよ中国本土にやってきた緊張感。深センの飛行場から中国国内線に乗り二時間ほど。漢の代に"長安"とよばれ、明の代よりは"西安"とよばれる三千年の歴史をもつ町につく。
中国大陸、ここは私達の手には負えない。予約しておいた車とガイドさんとに助けられ、着いたばかりの空港より直接、兵馬俑へと高速道路を突っ走る。
全くの冬枯れ、土色の畑の広がりのなかに、遠く近く、幻のように大きい山、小さい山「あれは何!」「これは古墳」。古墳の景色がつづく感動、こんな景色が見たかった。ほとんどの古墳が、まだ発掘されてはいないのだと。これから先どのくらいの年月、そのままなのだろうか、永久に掘り起こされる事は無いのかもしれない。
秦始皇帝兵馬俑に着く。ただただ土色の中に、土色の兵馬俑、騎馬俑、軍吏俑、将軍俑・・・それぞれの任務を持った陶俑は、東より攻めくる敵方を向いて立つ。
なんと大層なことを、とてつもない発想を声も無く見守るばかり。人間という存在を深く深く思う。
そして、日本から遣唐使が目指した町。二十歳で長安に着き、ついに日本に帰ることがなかった阿部仲麻呂の碑。
翹首望東天神馳奈良辺三笠山頂上想又皎月圓
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
次元はとても異なるのだけれど、私も長く外国にいて、すぐ帰ることの叶わない日本を、古里を、想う思いは、昔も今も変るものではなく、人間の原点の心でもって碑を歌をよむ

     

 


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