燻し銀
芸術院の若い先生が教えて下さっている弟子10名ほどのグループ。仕事をもっている人、深窓より出てこられる人・・・それぞれが「時」をやりくりし、週一度日本画と集う。
水彩や油絵など、塗るばかり、描くばかり、と整えられている画材や絵具や・・・この範囲でも絵を描くということは充分に刺激的ではあるけれど、日本画の場合、和紙や絹布をパネルに張り、金、銀、プラチナ、その他メタル類の箔をはったり、和紙を揉んだ効果を作り出したり、まず土台を自分で作る。
絵具も、天然石をおおまかに、細かに、一つの石を十三段階もの粒子のおおきさにわける。同じ石ということでも、天然ともなると全く同じ色というわけにはゆかないところが面白い。粒子が大きいと濃い色になり、粒子が細かい程明るく、白色に近づく。
そこで、自分の思い入れの石を砕き、自分だけの絵具を作りだすことができ、自分だけ、の要素が沢山残されているところがいい。
大昔、海底だった所が隆起して出来たアンデス山脈へ行った時、拾ってきた石を砕き、乳鉢でもっとすりつぶし、膠でとき、絵を描いたことがある。アンデス山脈は、日本画絵具になる素質の石がぎっしりつまっていた。
この日本画のグループ展をするから、といわれていた。日付けが急に目前となり、おおわらわ。
等身大の人間が治まるパネルを注文、頑丈な和紙を水張りし、ピンと張りきって乾くと、銀箔を一枚一枚、パネルに張り詰める。人を描く辺りは避け、硫黄を撒き、燻し銀をつくる。燻し加減を見定めつつ、良い加減のときにドーサを引き定着させる。 そして、いよいよ本来の絵ということに取りかかる。
人体を描くとき、いつも仏様をイメージしてしまうのだけれど、仏様が歩き出したような動きのある絵を描きたいと思い続ける。動きを描きたくて「クロッキー」の時をおおくついやしてきた。
画廊のことも、案内状のことも、グループの皆が準備してくださり、銀座一丁目、ここから銀座が始まるところ、こじんまりしたギャラリーに、先生の絵を筆頭に10名の各々三作品を掲げた。
芸術院の先生の作品は、新しい侘び寂びを内に秘めて素晴らしく、その先生に従っているつもりでも10名の個性は少しも統一されることなく、互の刺激になりあいつつ、いい先生といいグループに恵まれた。 外国に住んでそれぞれの国の、その国なりの絵の訓練をしてきた。日本に帰ってきて、今度は、日本画の技法を自身に加え、また外国へ自分を試しに行ってみょうと思いたっている。
日本画グループ展開催中、たった一日だけだったけれど、画廊当番をした。この頃は仕事だけにすごす日々だったから、仕事とは異なる時間がすぎ、あまり行くことのなかった銀座一丁目が新鮮。
画廊の正面に、誰か悪さをして、こんなことになってしまったのだろうと思うのだけれど、小さな社をすっぽり鉄格子の中に治め、鉄格子の間に間に金網も張られ、鳥居と賽銭箱だけが鉄格子の外。鉄格子は鳥居と同じ赤い色をしていて、罪滅ぼしみたいに。ずーっと一日中見守っていた。
赤い鉄格子の隣りは、しもたや風の格子戸のたたずまいの鰻や。格子戸を抜け出してくる団扇の音、うなぎの焼ける煙、うなぎの焼ける香ばしい匂い。
この二軒?以外はすべてビル。どのビルもギャラリーが入っていて、銀座が画廊の街である威厳を保っている。
ここに絵を掲げられてよかった。
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