私の家から、気軽に行かれる鎌倉の方向によく出掛ける。鎌倉の登り下りの地形のままに、いつか北鎌倉の松ケ岡東慶寺にいた。北条時宗の夫人、覚山尼の開創した尼寺。明治に至るまで男子禁制で、駈入、縁切、と女人を守ったお寺。今は男僧寺。このお寺の背後の山へと至る墓所に魅せられた。
鎌倉の山の傾れの古木の間に間、山の草々の中の苔むす一つの石っころ。自分のお墓の図、思いえがけた。
創建の覚山尼のお墓。後醍醐天皇の皇女のお墓。歴史上のやんごとない方々が素朴な石と鎮まる。西田幾多郎、和辻哲郎、岩波茂雄・・・近い過去の立派な方々。たとえ死んでも自分を置く事の叶うところではなさそう、たった一つの石っころになる難しさを知る。
○ 愚痴無知のあま洒つくる松が岡 蕪村
歴史的には勿論、海と山との風情に多くの文学者、芸術家が滞在し、移り住み、創作活動をし、ゆかりの作品は数々。鎌倉に行こうと思う度、調べたいことが増す。そして、鎌倉の登る道下る道、どの一歩もおろそかにはしたくない。
鎌倉幕府、三代将軍源実朝、鶴岡八幡宮において二十八歳の時暗殺された。実朝の心は、「金塊和歌集」、五七のリズムを伴って、今の私の心に交叉する。
○ ちはやぶる伊豆のお山の玉椿八百万代も色はかはらじ
○ 春雨はいたく降りそ旅人の道行衣濡れもこそすれ
○ 空や海うみやそらともえぞ分かぬ霞も波も立ち満ちにつつ
○ 大海の磯のとどろに寄する波破れて砕けて裂けて散るかも
万葉集の鎌倉の歌
○ 鎌倉の見越しの崎の岩崩えの君が悔ゆべき心は持たじ(3365)
○ ま愛しみさ寝に我は行く鎌倉の水無瀬川に潮満つなむか(3366)
○ 蒔伐る鎌倉山の木垂る木を松と女が言はば恋ひつつやあらむ(3433)
残された和歌を心に、自身の短歌も参加させ、紅梅白梅いかにもやさしく花弁を散らし、白モクレンのひと花ばかりが苞を落す。山の傾りに藪椿の深い紅。中国からきて古木となった柏槙(ビャクシン)の存在感。これからやってくる季節の巡りの、どの場面にもここに居たい。
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