那須塩原
三河湾の一番奥まったところ、小さな漁港、白砂青松の海水浴場、別荘が点在し、この美しくも穏やかな海辺を原点とした小学校の同じクラスだった友人達と、「共通の悔しさ、共通の寂しさ」、あの頃の面影を無くしてしまった古里のこと。同じ心を持つものどうし、この頃なにかと集う。
その一番古い友人から「那須へ居を移したから見においで」とメールが届いた。
「行こう行こう」,話しはすぐ決まった。
東京から古里に帰る切符を買う度に、駅員がなんども聞き返す知名度のない「愛知御津駅」発の友人二人と、東京からの私と、東北新幹線の座席で合流。
しっかり根付いた田圃の景色を喜ぶのも束の間、すぐ「那須塩原駅」。那須の住人になった友人にむかえられた立派な駅。「那須御用邸の駅」。
どこかしこ、美しく整い、ゴミなど皆無。清々しさに便乗させていただく。
遅早などない田圃にくらべ、稚なかったり、実を結んでいたり、いろいろな成長段階のある玉蜀黍畑がおもしろい。牛達の餌になるのだという、牧場地帯に分け入っていた。
田や畑の間に間に、雑木林が残り、どうしてこんなに「背が高い」木々。松だけが常緑樹、冬になる大きな景色が広がる落葉林なのだと。そんな雑木林が友の家の前の景色。
トラックいっぱいの黒い土を買って、自力で耕したという庭の野菜畑には、大小青い実を沢山つけたトマト。花と実と同時進行中の茄子。隠元。パプリカ。南瓜が・・・。胡瓜の黄色い花、葉陰の曲がった一本、ヌカミソに漬け込むのを収穫。
元気な野菜達の中に、立ち枯れているもの、「さっきまで元気だったのに」と、しょげる友。
折角こんなに大事に育て、最後の稔りの時に根元を喰い荒らす虫がいる。枯れてしまえば虫達のたべものも無くなるというのに。
仕事ということ、家庭ということ、あのことこのこと一段落し、これからへの希望と理想とを尽した家に入る前、庭の造型途中の菜園に沢山の思いがこもっていた。
車で走ると、海のもの、山のもの、世界中からの品々が集められる。私がアルゼンチンで大好きだったワインまで備えてあった。
人影のない、ただただ緑のなかでさえ、インターネットで繋がり、気に入ったことだけして暮らしていける。
庭の胡瓜と茄子のヌカミソ漬けで飲み始めていると、白ワインで、「貝柱のポワレ、凝ったソース添」が友の手料理でもてなされ、次は赤ワインで、「那須の牧場の分厚いひれステーキ」外側は充分にこんがり焼け、内は、熱は通ったけれど焼けてはいない状態に。那須の肉の美味しさを知る。
幾つも滝をめぐり、滝の落下の吹き降ろされる風の気持ち良かったこと。温泉にも浸り、湿原の木々草々に会い、那須は何と気持ちの良いところ。那須で過ごせた素晴らしい時を、またすぐに作りだせる安心を得て、たった一つの気がかりは、虫喰い、立ち枯れに「呆然」としていた友のこと。
抗酸化食品のはちみつ屋をはじめたら、類を呼び、抗酸化製品が集まってきている。
珊瑚礁の加計呂麻島の砂糖黍の黒糖から作るEM活性液が、今、信頼を得ている。
EM液を撒布すると、植物の根に抗酸化力が高まり、病害虫は杭酸化力のあるところには近寄りたくなくなり、害虫の卵が孵化しなくなるという。病気になりにくく、根が腐ったりしなくなり、セン虫や様々な虫も姿を消してゆくという。
したがって肥料や農薬なしで作物が栽培できるようになってゆくのだそうだ。
友の庭の菜園にEM液を撒布するお節介をしたくてたまらなくなった。
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