ことのはスケッチ (332)
パソコン



日本風に育てたとはいえ,外国で生まれ育った私の子供達。もう大人であり、私の希望どおりに自分の力で生きている。
でも、異人種のなか何の後ろ盾もなく、天災、人災、カリフォルニアの地震、ニューヨークのテロ、停電、マイアミの台風……直面しつつ。
国際電話は通じなくなり、困っているだろうに、恐ろしいだろうに、何もしてあげられない、役に立ってあげられない。
常の日だって必死に平静を装っているけれど、心配でたまらない。
「何もかもマヒしてしまっても、Eメールだけは大丈夫なんだよ」「Eメールをはじめて!」
子供達の要望に応えるべくパソコンスクールに通い,Eメールというに参加。何時でも、どこどこまでも、音無く、そっと届けられるEメールが大好きになった。


アルゼンチンのセリーナさん、私を知っていてくださる友人達、子供達、ささやかな発信を思いたち,ホームページを作成す。
短歌を載せ、随筆をかき、随筆には,スケッチや写真を組み、そのためにはデジカメを持ち歩き、見えるもの、気になること、あまり今に後れゆかないように…私のパソコンに私自身を入力してゆくことになり、こんなことをしても良いのだろうか、こんなに世の中にでしゃばっていいものだろうか、暫くはめげていたけれど、慣れるということにする。


パソコンをいじっていて、アルゼンチンとの仕事をしてみよう、という気持ちになった。パソコンに係わらなかったら,仕事みたいなこともできなかったとおもう。


三河アララギのホームページを作ろうとおもいたつ。便宜上、私のホームページの一ページになっているけれど、いずれ独立させたい。
月々の三河アララギ誌掲載の、全員の一首づつの入力。御津磯夫の歌集より抜粋。今泉米子の歌集よりの抜粋。三河アララギ叢書、第一篇より、第百一編の掲載予定。
三河アララギ会員の生きて詠んだ短歌を、見やすく、読みやすく、永遠に残したい。拙いうえに、なかなか時間がなく、遅々として進まないけれど、きっと良い形にする。


朝、メールなどチェックし終え、いつものように何の違和感もなく出掛けた。
夜、家にかえり、まずメールをチェックしょうとする。パソコンがたちあがらない。
差込など、ホコリを取り、差し直し…たちあがらない、なんの反応もない。助けを求める資料はパソコンの中にあるというのに。
夜中にもめげず専門家を騒がせ、「完全に壊れてしまった」という診断をもらう。
大体のことにはパニックしないと思っていたのに、私の『全部』が消えてしまったことに唖然とする。


アルゼンチンへ移り住んだ時、言葉も、親も、知人も、知っていることが何もない、金銭的にすら0になった。そんな完全0からでもなんとか生きてきた。
事情は異なるけれど、0に慣れているというか、また0になれたというか、また0から始められる、0を楽しもう。
私自身に関しては、思いもかけなかった出来事にたいしてゆとりが出来てきたけれど、始めてしまった仕事の連絡など、長い間0に籠ってもいられない。
自身でトツトツ甦ってゆく時間も能力もないゆえ専門家に頼ることになる。
消えてしまったものがどこまで取り戻せるのかわからないけれど、もう一度新しく、もう少し賢くなれるチャンスかな。
今『死んでしまった自分』を見ているようなそんな感じでいる。

 
 
 

 


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