西安 北京

 
 

日本から唐に遣わされた遣唐使は、底が平らな程度の心許ない船を四隻連ね、運よく中国まで着くことが出来たとしても、それから黄河の渭水を遡り、馬に乗り、長安までの長い旅。帰途にも同様の苦難がある。


今回、西安に行ってみて、遣唐使、当代一流の人達の旅が大変だったであろうことが身にしみて偲ばれた。
山上憶良、吉備真備、橘逸勢、最澄、空海・・・
万葉集の遣唐使関係。第十次遣唐使藤原清河へ孝謙女帝が贈られた歌。


○ 四の船はや還り来と白香著け朕が裳の裾に鎮ひて待たむ


日本まで辿り着くことなく失われてしまった幾多の教典、写経本などあるなかで、空海や最澄の持ちかえった経典が日本仏教の大きな発展となった。
訳知らず比叡山や高野山へ行ったことがあったけれど、やっと私の中で系統だち一つになった。


 

西安の街を囲む城壁。朝の鐘を鳴らす鐘楼、夕暮れの太鼓が鳴らされた鼓楼。朝夕の合図に開閉された東西南北の門。その西門がシルクロードの起点。
城壁の西門へ来て、はるかローマへと続く長い砂漠の道を私の目と心とにみはるかす。
中国からは、もちろん絹が輸出され、青銅、陶器、時代が下がり羅針盤、火薬、印刷術・・・。
西方から中国へ、馬、葡萄、柘榴、そして仏教。
三蔵玄奘が、義浄が、西アジア、パキスタン、インド・・・より持ち帰ったサンスクリット語の経典、仏舎利、仏像・・・等の保存のための大雁塔、小雁塔。黄土とレンガで唐の時代に築かれたこの塔へ登ることが出来た。膝はわなわな、息はきれぎれ・・・サンスクリット語経典が漢訳されたであろうさま。大量の経典が積まれていたであろうこと・・・。
唐の世の建造の十三層を登る間に、不思議な不思議な気持ちになるのだった。地震で壊れたままになっている天辺から空。空まで登りついた気持ちになった。


 

また、飛行機に乗る。北京に着く。十四,五年前に北京を訪ねたことがあり、その時と今度と、短い間になんと大きな変りよう、ただ目を見張る。
大大道りを急ぐでなし、止まるでなし自転車群が大河のようであったこと。だのに北京の街にほとんど自転車が見られなくなった。人々の日々の生活がみえなくなった。どの大都会へ紛れたのだろうかと重厚な高層ビルの街。ニューヨークから来たうちの子供達と区別が出来ないファッションの若者たち。世界のブランド銘が交叉して。
世界で生きてゆくことを強いてしまった私の子供たちに是非見ておいてほしい所を限られた時間の範囲で、天安門、故宮、琉璃廠、天壇公園、北京動物園、万里の長城、王府井・・・。功夫茶と、中国のお茶セレモニーの薫り高くおいしかったこと。宋の時代にも続く『茶ン』
の経験。


私に関しては、土屋文明先生の後に従う心になって、先生が見せて下さるもの、あれこれふまえて私自身が見るもの。


土屋文明『韮菁集』より


○ 夜深く面にあたる熱気あり感ずるは槐の花の香か


○ 夕日つよく楊にさせる勢に秋の色すでになきにしもあらず


○ 吹きつくる雨に濡れゆく仏あり千年の雨に残りいましし


   

 


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