また、飛行機に乗る。北京に着く。十四,五年前に北京を訪ねたことがあり、その時と今度と、短い間になんと大きな変りよう、ただ目を見張る。
大大道りを急ぐでなし、止まるでなし自転車群が大河のようであったこと。だのに北京の街にほとんど自転車が見られなくなった。人々の日々の生活がみえなくなった。どの大都会へ紛れたのだろうかと重厚な高層ビルの街。ニューヨークから来たうちの子供達と区別が出来ないファッションの若者たち。世界のブランド銘が交叉して。
世界で生きてゆくことを強いてしまった私の子供たちに是非見ておいてほしい所を限られた時間の範囲で、天安門、故宮、琉璃廠、天壇公園、北京動物園、万里の長城、王府井・・・。功夫茶と、中国のお茶セレモニーの薫り高くおいしかったこと。宋の時代にも続く『茶ン』
の経験。
私に関しては、土屋文明先生の後に従う心になって、先生が見せて下さるもの、あれこれふまえて私自身が見るもの。
土屋文明『韮菁集』より
○ 夜深く面にあたる熱気あり感ずるは槐の花の香か
○ 夕日つよく楊にさせる勢に秋の色すでになきにしもあらず
○ 吹きつくる雨に濡れゆく仏あり千年の雨に残りいましし
|