ことのはスケッチ(329)
八千代 U
ものごころつくと、「私の家」では三河アララギの歌人達が集い、歌の会などが催されていました。
会のおこなわれている部屋に、「子供なぞ近づくものではない」と暗黙のうちに悟らされ、奥の間の襖ごしの、漏れくる崇高なオーラを、集われる方々を、眩しくも憧れるのでした。
母が、たぶん一方的に、岡本八千代先生を「私の娘」ときめていたことを、思い起こします。
こんなに素晴らしい歌人がいてくださる三河アララギ会は、「良い会なのだ」と、部外ながら、小さいながら、私の誇りでした。
別室から憧れていた時は過ぎ、今は、編集会に歌会に、同室近く参加させていただき、参加出来なかった昔のことを、歌というもの、作歌の作法…、何はともあれ、内面からも外観からも、とにかく他人を惹きつける魅力を備えていなくてはいけない、ことなど教わっている。
三河アララギに父母がいなくなってしまったことを、埋めてくださるかに、「三河アララギ業書、第101篇、岡本八千代歌集『八千代U』。
独自のリズム。独得の言葉使い。仰々しかったり、構えたり、そんな様子はなにもない。いとも自然に、常の言葉のそのままが、格調高い「歌」であり。慎ましやかでありながら、いたずらっ子のようなユーモアが。
ある歌には涙をこぼし、ある歌は微笑み、懐かしさ、安心、驚き…私の五感が躍動し、目指してゆきたい「歌」に満ち満ちた歌集です。
○ 茂吉撰集並べし隅に青き本なくてはならぬ漬物の本
○ 大切な仕事してゐる心にて夫宛の書留今日も受けをり
○ 今日の風に馬酔木の花房ゆれてをり結納と法要ひとまづ過ぎぬ
○ まごつきゐて開きたる聖歌四十七番アーメンだけは声高く唱す
○ 目白の女子大正門より入りゆきて裏門へただ通り抜けたり
○ Chicago大学見えてきたりぬ静かなる黒人街を車突走る
○ 点滴と血圧計の音のみを今は聞きをりみな夫の音
○ 暖かき一陽来復の一日なり夫とわれとのけふのちぐはぐ
○ わが子らのわが子はをらず家裏よりただ聞えくる寒のせせらぎ
○ 家にゐるけふのおまへに逢ひにけり姥子の平の野よりの光
○ いよいよに陸と海とのタラップの外されてゆく確かなる音
○ 海も空もけふひと色の海がすみここに今ゐるわがひとりごごろ
○ 吾が書屋に夜くれば夜の本がにほふ本のにほひの中のわたくし
○ 一ぴきの秋刀魚を二つに切りて焼く頭はやはり夫にせむかな
○ をみなわれ今宵さんまを焼きてをり青きけぶりのもやもやもやもや
○ 冬咲きし宵待草のうす黄色人待つごとき心地してくる
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