ことのはスケッチ(326) 2006年(平成18年)2月

『それぞれのお正月』

去年のお正月は、玉由と由野とアメリカ人のションとがサンフランシスコとニューヨークとから来てくれて、皆で京都の「伊藤若冲」「貫名海屋」に会いに行ったのだった。

その前の年は、子供達とその友人のアメリカ人のタマラをまじえて、「万里の長城」「兵馬俑」「西安」「シルクロードの始まりというか終るところというか」、知っていた方が良いことを見聞した。

「お正月は、せめて家族一緒に過す」という決まりにしていた。

子供達のブラジルのドキュメントの書き換えの日付けが迫っていること。アルゼンチンのセリーナさんに逢いにゆくこと。と目的のある今年のお正月を過す予定だった。

アルゼンチン、ブラジルは、どこからでも遠く、「飛行機ごっこだね」、などと電話で言い合っていたのに、どうしても私のスケジュールが合わせられなくなった。

かくして地球単位のあちこちで、それぞれがお正月を迎えることとなってしまった。

仕事をやりくりして仕掛けていった玉由と由野は、サンパウロで手続を終え、アルゼンチンのセリーナさんと、アルゼンチンでの食事の回数だけセリーナさんと一緒に食事をし、その後玉由は用事のあるリオデジャネイロから日本に居る私にお正月の電話を掛けてきた。「あぶないことには近寄らないから安心して…」と。

ニューヨーク、CNNの巨大なビルの真夜中。「アルゼンチンから直接ここに帰って来ているの、ガードマンが時々通り、掃除のおばさんがあきれ顔でのぞいてゆく。もちろん今誰も働いている人はいないよ」。正月三日から始まるCNNのプロジェクトの責任者として最後の仕事をしている由野からのお正月通信でした。

上海からは、沢山食べて、沢山飲んでいるという報告があった。

報告を受けている私は三河アララギの会員達から届けらこれた歌稿に取り組んでいた。

お正月が締め切り日となった今月は、皆、さぞ忙しかったことでしょう。

出詠歌が少なく、選歌が十五首に充たない会員のがとても残念。

情況や風物の説明だけではなく、作者の心、位置、言葉が感じられる歌を選んでゆく。選んだ十五首に、作者らしい、作者の言葉のタイトルをつけさせていただく。すぐ決まる時と、何度も読みかえして、それでもなかなか決められない時もあったり、今は亡くとも、父と母とが、一緒にいてしっかり私を導き、見守っていてくれ、穏やかに、満ち足りて、この時が私の糧になる。

祖父に連れられ「うちの山」へ行き、裏白を取り、雄松、雌松を選び、庭の竹を切り、門松を作ったこと。祖母とは仏壇の仏具のおみがきをして仏壇を整え、真赤な絹の伊勢海老をお供えの上に飾り、年に一度だけだすこのぬいぐるみ海老が大好きだった。母のお節料理が上品であまりにおいしいかったこと。父との百人一首かるた取り、書き初め…素晴しいお正月を過したから、私も子供達に伝えたくて。明治天皇の女官をしていた伯母叔母に教わった作法、物腰、言葉の端々、料理、味…も加えた私の正月を、外国で日本風が上手く出来なかった時も、なんとか日本風に近付ける、その努力を子供達と共にしてきた。

お正月ということを、子供達と同じ心で過したかったから。

今、それぞれが異なる国にいて、「同じ心」になっていることを知る。

 
 

 


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