ことのはスケッチ (351)
『 飛行機 』

どんなに注意深く暮らしていても、何が起こるか、予測などつきはしない。
自分の出来る範囲は、自分で守るつもりにはなっているが。
飛行機が一番安全な乗り物であるとか・・・、飛行機は絶対墜落しないように設計されているとか・・・。

そのことについては百パーセント信じているけれど、いざ、飛行機にのるということになると、常の外出とはことなり、自分が帰って来られないかもしれない想定をしてしまう。
帰ってこられないのなら、残してはおけないものを、削除しなければいけない。
こんな心を、数限りなく繰り返してきた、いままた、身のまわりの整理整頓を終え、成田空港へむかう。

昔々、四十年ほど前のこと、アルゼンチンまで行くのはとても遠かった。
船でゆくのが一番遠かった。ハワイまで十日間は、船酔いで身も心も揺れに揺れ、メキシコ沖頃は、大地に立つことに恋焦がれ、パナマ運河は、衿を正して通り抜けた。エクワドル辺り、赤い線はどこにも引いてないことを確認し、赤土が溶けたアマゾン河も越え、ブラジルへ・・・アルゼンチンへ・・・四十五日間かかった。
アフリカ経由の船でアルゼンチンまで行くと、六十何日間とか、掛かった。
限りなく本物の地球を感じる嬉しさといったらないけれど、こんなのは日常の交通手段という訳にはいかない。

その頃、アルゼンチンから日本への飛行は、航空会社にもよるけれど、国々を各駅停車みたいに停まった。
四時間ほど飛んで、二〜三時間は給油や貨物、乗り降りについやし、アンデス山脈を越えチリの空港へは山々の中に着陸し、とてもスリルのあることだった。
ペルーには、かならず夜中の二時とか三時とかについた。飛行機のドアが開くと、魚粉の臭いがして、ペルーの産業を知るのだった。
また、四時間ほど飛び、コロンビアに着く。パナマやグヮテマラや、メキシコや・・・。
アメリカは、マイアミに、ロスアンゼルスに、アメリカまで来ると“ホッ”としたものだったが、それからがまた大変。水ばかりの太平洋上を十何時間。
海を見下ろしているは好きだったけれど、ここで、飛行機落ちたらどうしよう・・・。そんな思いは一瞬も消えなかった。

その頃は、日本に着くのも、ゆらゆらゆれるタラップを降りた。しみじみと、日本に帰ってきた一歩一歩だった。
時差があり、日付変更線あり、いったい何日間?何十時間?どれほどかかった旅だったのか計算できない。

加速度的に何もかも変わってゆき、今回の私の旅は、二ューヨークに着く。飲みかけている水のペットボトルがペチャンコになる気圧や人工の空気やエンジンの響きの中に十何時間いることは、身体に良くない。
極寒のニューヨークで2日間ほど、歩いたり、食べたりして、体調を整え、今は真夏のアルゼンチンへ着くと同時に、夏姿になるにはどうしたら良いのだろう。
日本からアルゼンチンまで、飛行機に乗っていた時間だけたすと二十数時間。
こんな世の中を生きている。

 
 

 


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