ことのはスケッチ (352)
『最終講義』

古里の高校の同期。東京で学び、世界で学び、仕事をし、家庭ができ、年月がたち・・・。
東京近辺に住む友人たち十二〜十五人と、月に一度ほどの割合で集う。この集まりは、高校卒業以来続いていたのだそうだ。
私、学生時代は織物染物の丁稚奉公?をしていたから、普通の学生ではなく集う暇がなかった。そして、そのまま外国へ行ってしまい幾十年、「浦島太郎さん」みたいになって帰ってきた。
しばらくは日本に茫然としていたのだけれどある日、この仲間たちが私を探してくれた。

男子生徒ばかりのような高校だった。この頃、スーパー・サイエンス・スクールに選ばれたように、私を除き、頭が良いといわれる生徒たちばかり。
それに、その頃は、男子と話をするようなことは無かったし、同じ制服の男の子たちの誰彼の区別もつかないくらいで卒業してしまった。
やっと昔が今風になり、おおいに日本語を話しても良い機会を得、古里を共有する、何言わなくてもわかりあえるような安心を私のものにした。
日本に帰ってきて良かった。

月々の飲み会のほかに、初詣の会は、鎌倉八幡宮に詣で後、鎌倉を知り、味わい。去年は浅草寺、後、古里出身の神谷さんの神谷バーでデンキブラン。今年は上野、東京のルーツを知りつつ、三百年の老舗の豆腐を食べた。
旅に出るイベントも計画され、行ったことが無かった所がどんどん減る。
皆が定年になったとき、「もう雇ってくれる会社が無いのなら、自分で会社を作ればいい」と無謀に会社というを、たちあげた私を、電気関係、コンピューター部門、経営・・・と、トップを極めた仲間たちの恩恵にあずかること限りなし、そしてそれ故、まだ存在出来ている。

こんな仲間の大学教授の友が、定年退職をすることになった。
「最終講義」ということがあるという。
また、完全に知らなかったことが見つかったけれど、「最終講義のリハーサル」に仲間を大学へ招いてくれたことで、たちまち未知ではなくなった。

「素粒子から宇宙まで」
___生命科学・数学・詩・歌・空手なども____

素粒子ということの、数ということの、極限を見極め、実質的な宇宙のことの最前線を導いたひとの講義。
宇宙誕生の極限のエネルギーが、宇宙膨張により冷却し、138億年ほど経過した現在は、わずかな温もりがあると、教えてくれた。宇宙の歴史と宇宙の未来とを、身体にしっかり抱え持っているのだ。
物理学、数学、生命科学、学問の範囲にとどまらず、その学問に基づいて自らの身体を、頭脳を鍛えあげ、黒帯三段、空手のひとでもあるという。

究極の強さとは、「謙虚」になること。強さに裏付けられた「やさしさ」こそが、本物のやさしさであるという持論のひと。
「動・剛・闘」の対極にある「静・柔・和」は、学問の世界にも共通すると諭す講義。
決して既存のもなどではない、命を掛けて導き出した数式、物理学、生命科学を踏まえた詩。宇宙をも含みもつ歌。宇宙エネルギーのしっかり籠った空手。・・・。

何といったらよいのかわからないような、ひとまわり大きくなれたような、そんな感動につつまれた「最終講義」だった。
大学の講義ということは最終になってしまうのかもしれない、けれど世の中に、私たちに、普通の人に還元される意義ある最初になりますように。

 
 

 


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