ことのはスケッチ (357)
『秋野不矩美術館』

「折角アルゼンチンに居るのだから!」アルゼンチンの人達とまじわって暮らすよう努めていた。ということは、スペイン語を話さないといけない。
急に「アルゼンチンへ行こう」と思い立ってしまったとはいえ、急にスペイン語が話せるようになったわけではない。
話すことも聞き取ることもできない状態は続いていた。
人種は異なっても人間と人間、なんとか通じ合えるもので・・・知人もできてきて・・・。
アルゼンチンには、考え方とか食べ物とか、とにかく日本風という感覚は何もない。日本風は自分で作りだす。日本風の食べ物も自分で作り出す。そんなふうに慣れていたから日本擬のレストランにはあまりゆかなかった。

何の弾みだったか、日本レストランへ出掛けたことがあった。
そこで、日本から弾き出てアルゼンチンまで辿り着いてしまった、私みたいな幾人かに出会った。
その中に、出会った瞬間“同じ空気”を感じてしまった“ゆきさん”がいた。
気丈にしていたつもりのアルゼンチンで、初めて『ホッ』と甘えた気持ちになったのだった。
それから私のアルゼンチンの生活に、日本の友人達が加わり、それぞれのアルゼンチン生まれの子供達の存在も加わり・・・。朝も昼も夜も、コロコロ、せっせ、遊んだ。働いた。学習した。

“ゆきさん”が先に日本へ帰り、私は、アルゼンチンに住み続けるまま、彼女の住む琵琶湖まで、比叡山、塩尻、白馬、何処へでも会いにいった。
千変万化、ユニークで大きなオーラを取り巻く“ゆきさん”の母上が日本画伯秋野不矩さん。
日本で描かれた日本画、インドなど外国で描かれた日本画。大きな大きな作品の間に、小さな秋野不矩さんがおられ、文化勲章をもらわれたこと、常に大きく作品展が開かれること。なんどもなんども展覧会を見せていただいたこと。
時には、お目にかかれてお話してくださったことも。
アルゼンチンへ行く前“新制作”に作品を出していたことがあり、何知らないまま秋野不矩さんと同じ会だったことを思うのも、厚かましくもうれしい。

秋野不矩画伯は、京都市立芸術大学名誉教授であり、天竜市立「秋野不矩美術館」が生誕の地に建立され、この度「秋野不矩画伯生誕百年記念」のセレモニーが執り行われた。
日本一暑い所、といわれる天竜川と二俣川が会い会うところ。ほとんど九十年間を描き続けてこられた日本画が展示されているところ。
すっかり安心してやさしい心になれ、いつまでもいつまでも秋野不矩さんの範囲に居たい。
インドの古典音楽が聞こえていた。仏様に近づけたような、そんな気持ちになっていた。アルゼンチンへ行ったから幸せな場所にであえた。

 
 

 


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