|
ことのはスケッチ (361)
『幸福の木の花』
「今日のうちに帰る」と決めてはいるけれど、ちょっと過ぎてしまったり・・・そんな毎日を過ごしている。
真夜中。こんな時刻は、その時々の月、星、空・・・身近に感じつつ、王子神社と王子稲荷神社とを擁する権現山の坂道を登る。かって、頂上だっただろうあたりの私の家へ。
家に入ると「いつもと違う」私の気配しかしてはいけない家。
「隣の夜食が匂ってくるのかな!」と、その日は終った。
次の日、昨日よりも濃い匂いがする。「何だろう」、探し回る。
高い天井の、天井に届くほどの「幸福の木」の辺りから、匂いというか香りと言ったら良いのか、濃く、甘く、沈んだ空気が漂う。
大きな葉っぱに隠れていて気付かなかった、八つ手の花みたいな形状の花茎を見つけ
何時の間に・こんなに長く・なめてみると甘い・蜜を滴らして・・・。
アルゼンチンの小学校の終業式が終ると同時に、子供たちの日本留学と日本に住み始めたその日のその家に、観葉植物を山盛りにした軽トラックが止まった。
その中で、一番大きくて頼もしかった「幸福の木」というを、思わず買ってしまった。
葉っぱだけ。何時までたっても葉っぱだけの木だった。
子供たちが日本で中学を終える。高校は、英語になれて欲しくて「アメリカに住む」と決めていたから、引越しの時がきてしまった。
三年間一緒に暮らした大きすぎる「幸福の木」を、どうしたらよいものか。
我が家の応接間としていた小料理店で預かって下さることになった。
カリフォルニアで暮らしている間に、道路何とかで立ち退きになってしまった小料理店から、「幸福の木」は、子供たちの祖母の歯科診療室に移されたのだった。
「幸福の木」の幸せは束の間、祖母がリタイアすると、邪魔者としてガレージの隅っこに追いやられてしまつた。
子育てを終え、私は日本に帰って住むことにし、「幸福の木」を引き取りにゆくと、ほとんど駄目、葉っぱを黄色く垂らしていた。
私の居間で、やっと葉っぱを増やしはじめたけれど、葉っぱだけの木であることに変わりはなかった。
この木と出会って二十五年がたっていた。
植木屋さんが「幸福の木」と言ったからそう呼んでいたけれど、本当は何なんだろう。
「ドラセナ・マッサンゲニア」高温多湿の熱帯アメリカ産。二十五年ほど前に「コスタリカ」から輸入された、と調べた。
コスタリカでは、コーヒー栽培園の防風林と利用される木なのだと。
一度も高温多湿にしてあげなかったから、花が咲かなかったのかな。
それにしても、私が居ない間、とても寒くなってしまう部屋で、なぜ花咲く気になったんだろうか。
私の帰宅時を、いちばん濃く香り、朝には何事もなかったように、何事も無い。
三週間ほど香りの夜は続き、香りの中でもの思い、香りのなかで眠った・・・。
幸福の木の花が咲いている最中、玉由が仕事で日本に来ていた。
「幸福の木」が家族になったころの小さかった玉由を思いおこす。幸福の木があり、子供たちが育っていったこと。
微笑んでいられるような仕事をし、そして本拠地ニューヨークへ帰っていった。
|