ことのはスケッチ (362)
『ジョギーが大変』

「大変!ジョギーの足が取れてしまいそうなの」ニューヨークよりの緊急電話。

アルゼンチンで暮らしていた頃のこと。玉由が幼かった頃のこと。
お客様を招いてパーティの最中、玉由が「ジョギーの足が取れちゃった」と、泣いて訴えにきた。
『お客様が帰られたら、直してあげるから、もう寝なさい』と、子守のマルガリータに、玉由を託した。
マルガリータは、玉由を寝かしつけ、自室にいり、宴たけた私が子供部屋にゆくと、ポキシポル(アルゼンチンの接着剤)だらけになったジョギーに被いかぶさるように玉由が泣き寝していた。
ひとりでジョギーを助けようとして・・・こんなに悲しかった玉由に、すぐ対応してあげられなかったことが、私の一生を通じてのショックとなった。

学生を終え両親より独立するにあたり、七光りも届かない、一番遠い距離から、自分を始めてみようと思い立って辿り着いたアルゼンチン。
その当時、アルゼンチンにはまだ無かった電子部品の工場をつくり・・・会社が軌道にのりはじめ・・・玉由が生まれると・・・工場の若者達が、“クラシックな、赤くておおきい縫いぐるみのジョギー”を贈ってくださった。
ジョギーは、そのときの玉由よりずっと大きかったから・・・。
抱くというか、掲げるというか、玉由の姿はジョギーにすっぽり隠れてしまい、ジョギーは歩きまわり、走りまわるのだった。

初めての外国生まれの孫のために、はじめて外国へ荷造りをした祖父母からの日本風のベビー用品でアルゼンチンで育った玉由。
ジョギーは、そのときのベビー服を着せられ、今も常に玉由に寄り添っている。
その「ジョギーが大変」ということで、私はニューヨークに着いた。

ジョギーの怪我を診察し、アルゼンチンのときの品々に囲まれた玉由と由野の生活に交じる。
ひとつ違うジェネレーションなのに、まして私の子供なのに、摩天楼の真っ只中、あまりに私と異なる感覚の生き方にびっくりする。

ビルの玄関には24時間ガードマンがいる。そのほかに、掃除。洗濯コーナー。ゴミのこと。ビルの温度調節。どこもかしこもピカピカ。・・・。
快適な暮らしをサポートして下さる15人ほどのスタッフに守られて。
15人へ、クリスマスのプレゼントと、コメントを添えた心づけの封筒を作っていた。アルゼンチンの生活ではこんな風にしたのだったな。いつの間にか子供たちが自分の意思で、何でも出来るようになっていて・・・。

冷蔵庫を開けると、120ccほどの缶がぎっしり詰まっている。上の段は煎茶の缶。下の段はウーロン茶の缶。
「缶を開ければ、新鮮で美味しいのがすぐ飲めるんだよ」「ネットで頼んで、家に届けてくれるから楽」
地球の最前線での仕事、とてもお湯を沸かす暇も無いらしい。
「それも面白い」と思うまでに2〜3分はかかった。

時に、由野は朝から自分のパソコンが三台置いてある彼女の机から動かない。「今日は会社に行かなくてもいいの?」と私。「今、会社に居るんだよ」と手を休めもせず由野。
会社での仕事も自宅でできてしまうこともあるらしい。「世界中どこに居ても出来るんだけど」と。

働くことが当然の暮らしで、彼女達の便利がとぎすまされ、実行され続けている家の中。
折角来たのだから何か役に立つことないのかな・・・うろうろするばかり。

 
 

 


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