ことのはスケッチ(376) 2010年(平成22年)4月

『本』

「本がいっぱい備わっている」家に生まれた。その本とは別に、清く美しく律儀な父と母の“めがね”にかなった子供向の本が、しばしば本屋から届けられ、そう“子供の科学”の雑誌、新聞まで届いていたのだった。

その環境を当然としていた小学生の時だった、「自分で自分の本を選びたい」と思いたつ日があった。
一人で汽車に乗り、隣り町の一番大きな本屋へ行った。大きな本屋の沢山の本を見巡り、予備知識はゼロだつたけれど、『アンネの日記』を選んだ。

家に帰り、父と母とに、私が、自分で選んできた本を見せ、「良い本を選んだね」と誉めてもらえた。

ここまでは、幸せに生まれた、幸せのままだった。

「本」を読みはじめ、今まで育って知った“感情”をはるか越えた、驚き、呆然、胸は痛み、心は弱り、息苦しく、知らないでいたことに罪悪感はつのった。

私の,少しばかり年上、戦争があり、人種差別があり。心的、身体的な苦痛の限りの末に、15才で死ななければならなかった「アンネ」のこと。あまりの恐しい事実に、震えつづけるしかなかった。
「どうか私のために大きな心の支えと慰めになって下さいね……」と日記に綴った「アンネ」と、私の生涯をかけた心の中で話しをし続けている。

「夜と霧」、ヴィクトル・フランクル書。「アンネ」のように死んでゆかなければならなかった事実を「知らないでいる」ことは許されない、とは理解しながら、恐ろしさに、たち入ることが恐ろしく、目を閉じて、この本を読んだつもりになっていた。

今、改めて、池田香代子訳の「夜と霧」を、しっかり目を開いて読んだ。

極限の苦痛、苦しみを経験してしまった人間の、こんなにもいとおしい心に泣く。
抜き書してみる。
『愛する思い、愛する姿を心のなかに見つめ、心の中で会話をする……」
個人という存在が蔑ろにされ、身元はとっくに失なつてしまい、「番号」が至上であって…。

「運命に感謝しています。わたしをこんなにひどい目にあわせてくれたんですもの」
「あの木と、よくおしゃべりするんです」「木はこういうんです。わたしはここにいるよ……」
収容所にいたすべての人々は……幸せではなかった。にもかかわらず不幸せへの心構えはほとんどできていなかった。』

アルゼンチンに辿り着き、何もかも無くなった、長い間、慣れることのない不安と寂しさとを経た私の心で読んだ「夜と霧」。

私の未経験の苦しみの「夜と霧」ではあるけれど、心を尽くし、感じて生きてゆく。そして、「こんなことはもう許さない」という力になりたいと思い続ける。

 
 

 


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