ことのはスケッチ(389) 2011年(平成23年)5月

『NE-YO』

 五分毎のポーズを追っていた。揺れているけれどモデルさんがポーズを乱さないから描きつづけていた。
 その最中、「今、揺れているでしょう!!大丈夫なの!!」。ニューヨークからの電話で、やっと大地震だと察した。
 「全線電車は止まった」と、ニュースは伝ってきた。電車に乗って出掛けてきた全員が路頭に迷うことになる。タクシーも、宿ることも、もう無理。電話も通じなくなった。ニューヨークとはずっと話をし続けていられたが。
 アトリエを出てしまったら生きてはゆけないことを理解し、次の日になって電車が動きだすまで居座った。
 そんなことで苦労はしなかったけれど、玉由が、この四・五年来、毎年の行事にしている「アーチスト「NE-YO」と五十人近いスタッフ」でのコンサート・ツアーの日付けがせまっていた。
 外国からのアーチストのキャンセルが続いている。こんなに大騒動になってしまった日本へ…もう無理だろう…あきらめていた時、「なかなか決められなかったけれど、明日、日本へ行くから」と玉由。
 アメリカでは、日本への渡航は控えるように…日本に居る外国の人は、大きなスーツケースをもって、成田へ成田へ…日本脱出をしているというとき。
 余震は、あきれる程くり返され、地震をあまり知らないアーチスト一行と玉由が無事、日本の公演をこなせるだろうか。
 私なぞ、何の役にもたたないけれど、とにかく全行程を近くに居てあげよう。かくして移動も宿も、音合わせも、コンサート中も…ツアーの一員になってずっと。
 名古屋も神戸も大阪も、地震と原発と買い占めと…何気付かなく過ぎ、「NE-YO」が歩くと、女の子達がみつけて寄ってきて、「キャー」「泣きだし」「写真を写し」…こんなに人気があったんだ。
 「NE-YO」のツアー中、密着取材がついたから、よけいに目立つのだったけれど、カメラがまわりだすと、歩く姿もオーラを放ち、大スターになってしまうところがとても見事だった。
 名古屋の公演も神戸も、「NE-YO」の切れの良いリズムとダンスで無事過ぎ、東京の公演という段になって余震や原発の東京には「行きたくない」。「キャンセルはできない」。
 二万人近い会場は、チケットは売切れになっている。
 ガーガー測定器を揃え、放射能に効くという薬も用意し、放射線の医師の指示も受け、東京の水は飲まない、食物も食べない…難しいことを皆クリアーし…大阪のホテルから新幹線で、開演直前の新横浜に着き、超満員、ネオンライトがリズムをとり、全員総立ち、「NE-YO」と一緒のリズムになって、「ニッポン・ガンバッテ」「復興を祈り」「チャリティもでき」。
 使用電力をおさえたことも苦にならない素晴らしいショーになった。そして、アーチスト一行すぐ新横浜から大阪のホテルへ戻っていったのだった。
 何としても無事に帰したい。無事にアメリカへ帰すことが出来た。

 
 

 


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