ことのはスケッチ(391) 2011年(平成23年)7月

『泥大島』

 四月は父の五月は母の、誕生月。六月は父が、七月は母が亡くなってしまった月。
 とてもとても父を、母を。何言わなくても分かり合えた日々。小さかった時は、父にも母にも、少し離れて憧れていた。近寄ることに遠慮をしていたのだった。
 長じては、文学、絵画、染色、織物…父母と同じ興味を分かち合うことができた。
 学生だった頃、「結城紬の体験をしたい」と報告すると、すぐ父から「結城知るべし」と葉書が届いた。父母のサポートを受け、 結城の里で、真綿から手撚りの糸を紬ぎ、腰と足とでバランスをとる「いざり機」の実習をしていたり、茜染、紅花染、南部紫根染、仙台平、刈安染めの黄八丈、ハマナス染料の秋田八丈、弘前のこぎん刺し、西陣のつづれ織り、手描き友禅…伝統の工芸を守っておられる方々直々の指導を受けていた。
 さんが織という織元で丁稚奉公をしていた時があった。トイレ掃除などして私の宝づくりの時だったのだな。
 そして、その頃には、もう会えないかもしれないと思える外国へ行ってしまうことを考えた私に、父母は、日本の伝統の品々を揃えて持たせてくださったのだった。
 その中には、泥染めの大島紬の袷と単衣と。
 今、東京のひとりの家で、母の泥大島を羽織ってみる。何と美しい…。奄美大島の泥染へ行ってみよう…。
 絹を研究している「従妹」が、梅雨の時を狙って「泥染にゆく」という。付いてゆく。

 日本列島をまっ白く覆う梅雨の雲の中を、飛んで飛んで…奄美大島。
 雨は降り、声はすれど姿の見えないアカショウビン。深い緑の山懐。伝統工芸士の野崎松夫さんの教えを受ける。
 まず目に入るのは、巨大な釜。車輪梅の木の荒削り材を入れて、長く煮だし媒染液をつくる。この液を、熱くしたり、ぬるくしたり石灰を入れたり…その都度にあわせる。
 東京辺りでは、車輪梅は生垣になっていて白い花が咲き、その木を灰にして媒染にするけれど、奄美では、車輪梅は大きな木になるらしい。
 車輪梅の液に浸し、絞り、また浸し…三度くり返した布を、田泥につける。
 緑青色に美しい金魚藻を掻き分け、田んぼに入る。裸足になって土を踏んだこともない足に、ニュルル…だけではない。小枝らしきがつくつくとして、自身の体重をかけて立つことへの戸惑い。冷たい。ピクッと触るものもある。
 鉄分を多く含むという粘土を布に擦り込み…田の上澄部分で濯ぎ、また泥につけ…を三度くりかえす。車輪梅の液に戻り三度をくり返し…田んぼに戻り、同じ三度をくり返す。好みの染め具合を求め、一日中でも、何日間でもこの中腰の作業は続く。
 染める前の、糸を作る、絣をくくる、染める。そして織機にかける、織りあげる。気が遠くなるような作業が続き、私の大島紬の着物は出来たのだったことを知る。ありがとう。ありがとう。ありがとう。

 
 

 


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