ことのはスケッチ (341)

『セバスティアン・アラウス』

 
アルゼンチンの私の家族、セリーナさん一族の所有する牧場『サンタ・セリーナ』を、セリーナさんの甥姪兄姉達を追いかけ走りまわっていた末っ子のセバスティアン、淡いブルーの瞳、天使のように可愛らしかったことが、忘れられない。
大人になった今は、セリーナさんを継ぎ、セリーナさんをサポートし、アルゼンチンを代表するインテリアの仕事をしている。
私の子等がアルゼンチンで生まれると、セリーナさんは、サンタ・セリーナを分割して一族の子供達と同じようにしてくださったのだった。サンタ・セリーナ牧場には思い出がいっぱい。

アルゼンチンでは名前を呼び合うから、わたしもアルゼンチン式に「直己」とよんでいた、植村直己さんも、この牧場に何度か来られたのだった。
彼はアルゼンチンの牧場をたいへん気に入り、「将来は牧場経営も…」などと話したこともあったのに…。
直己流の謙遜で、「馬に乗ったことなんかないですよ」と、ひとたび馬に乗るやいなや、傾きかけた太陽に向かって突っ走っていった。そして、地平線に消えた。
道標なぞない。行けども地平線あるのみ。
「もう戻っては来られないのではないか」。
馬が自分で戻りたくなったのか、直己が馬も大牧場も操縦できたのか…とにかく夕暮れて"ボソー"と帰って来たのだった。

直己の冒険の途中、船で知り合った二人のアルゼンチンの女の子。ひとりは尼僧だったと。直己は彼女をいたく気に入ったのに、宗教上「ことわられた」と残念がっていた。もう一人の女の子は、サンタ・セリーナのあるマル・デル・プラタに住んでいたこともあり、招いて、アサードをしたり、ガウチョの扮装をしたり、アルゼンチンの大牧場主の雰囲気を楽しんだのだった。

サンタ・セリーナに住んでいたセバスティアン兄弟姉妹を子守育てたマルガリータが、今度は私の子等にきてくれて、アルゼンチン風はマルガリータが育て、日本風は私が守り…サンタ・セリーナを巡り、子供達が育っていったのだった。

セリーナさんは二度日本に来てくださった。
一度目は、日本家屋の畳にすべってしまって、うまくハイハイが出来なくて困っていた玉由を救済みたいに来てくださり、一緒にアルゼンチンへ帰った。そのころは、アルゼンチンへは帰って行ったのだった。
二度目は、子供達の日本留学中の様子をみに来てくださった。
その都度の、日本を見て頂くのだったけれど、ご自分の考えしか認めないセリーナさんと、正しいことを言っていると思い込んでいる私と、喧嘩ばかりの珍道中だった。
セリーナさんが見る日本を、私も彼女の目になったり、自分自身の自国を見る目にもどったり…。
その時の、セリーナさんの日本体験談を聞きながら育ったセバスティアンが、もう2年もアルゼンチンへ行っていない私に、会いに来てくれた。
セリーナさんと同じように、あの頃からすっかり変わってしまったけれど、日本を見せてあげたい。

日本に帰ってきてどんな風に生きているか、私の家に一泊はしてもらった。アルゼンチンの続きが沢山あり、セバスティアンの目をとおして自分の家を再認識した。
六本木あたり、今をときめくホテルにも泊まってもらった。そのあたり、新しい美術館、世界の名画がいながらにして観られるのが気に入っていた。
京都は、建築家の彼に、清水の舞台を見せたかった。
歩いて歩いて、みちくさのまにまに、出会うことごと、みな感じてくれたセバスティアン。
一夜宿った宇治川のほとり、川の流れに、雨の音が、風の音が、千年の昔も、きっとこんな風情だったにちがいない。
そのタイム・スリップの気持ちのままに、平等院鳳凰堂を、宇治上神社を…。
日本に来て、この時を喜ぶセバスティアンと、アルゼンチンで生まれ、今はニューヨークに住む玉由と由野と、これから先、地球の上でお互いの存在を大切にしあってゆくことだろうことを、思う。


 
 

 


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