セリーナ・アラウス・ペラルタラモス デ ピロバーノ
Celina Aruz Peralta Ramos de Pilovano

 

「アルゼンチンのセリーナさんが救急車で病院に運ばれた・・・」と。私の子供達と同様、乳母マルガリータに育てられたセリーナの甥、セバスティアンからのEメール。
八十九歳になるセリーナを、気遣うつもりではあったけれど、距離的に本当に遠い。ご無沙汰をしてしまつていた。


アルゼンチンに辿り着いて半年間を、私は泣いていただけだった。とうとう「こうしていては仕方がない」と、思いたつ日がきた。そしてセリーナと出逢った。

 

出合ったばかりの頃は、言葉は通じなかったし、由緒ある長い名前に戸惑ったり、とにかく訳が分からないことばかりなのに、セリーナと私と同じ空気を感じた。


東洋人私が、突然彼女の前に現れ、何を考えているのか理解出来なかったでしょうに、生きること、人種のこと・・・全てに立ちはだかり、セリーナは私を守ってくださった。


のみならずアルゼンチンの最高位のセリーナの生活を、全部私に経験させようと心を配ってくださった。


「行列をする」ということは知らないで過ごし。世界の三大劇場テアトロ・コロンは、舞台に近い奥の間つきのボックス席にいるのが常だった。

私の子供達が、アルゼンチンで生まれると、アルゼンチン人として立派にしていられるように、セリーナの祖父が創始者のマル・デル・プラタの牧場をプレゼントしてくださって下さった。


私が、セリーナにしてあげられたことは何もないままなのだけれど。


 

アルゼンチンで「どんなに立派に、楽しく暮らせたことか」「セリーナに会いにゆかなくては!」あわてふためいたつもりでも、地球を半周してアルゼンチンに着いたときには、いつもの元気なセリーナだった。どうも誕生日のワインを飲みすぎた、と言う事らしかった。


アルゼンチンに住んでいた時のように、夕刻セリーナの家でアペリティフの時を過ごし、ディナーは、普通と異なる習慣のセリーナを気遣ってくれる馴染みのレストランへ。


こんなにも懐かしいアルゼンチンの味。個性のしっかりした野菜類。世界一美味しい牛肉。神様と思うパンの味。ワインと料理となんと良く合うこと。ワインがいい。


私の生きてきた年数の半分を過ごしたブエノス・アイレス。ずっと私を忘れないでいてくれる友人達も集まってきてくれて。
沢山の人達と出合い、上手に付き合えた人・・・上手く付き合えなかった人・・・今ならもっと欲深く付き合おうとするのに・・・後悔もあったりして。

 

 

セリーナと出合えたからアルゼンチンで生きてこられた。今、ニューヨークにいるアルゼンチン生まれの子供達も、「セリーナさんが守ってくださったから・・・」「セリーナさんのおかげで・・・」といつも言う。


私が日本に帰ると決めたとき、「どうしてこんなに遠い国の人と知りあってしまったのだろう」とセリーナが涙をこぼした。私も泣いた。
「いづれ一緒に住もう」って言い合っていたし、「チチカカ湖にも行こう」「パンタナールも」・・・そんなこともなにも皆振り切って、今日本にいて、セリーナが失望しないように生きなくては、と思う。


セリーナへのご恩返しに「アルゼンチンと日本と係わりのあることをしてゆこう」「アルゼンチンとの距離を近くする工夫をしょう」


   

 


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