ことのはスケッチ(291) 2003年3月

富士山

 

小学校にあがった頃、父母が、私達子供に、東京をみせる旅を計画してくださった。「白木屋のエスカレーターにのる。銀座の、大きいジョッキーにビールがそそがれ、やがて泡があふれ零れるネオンをみる。上野の西郷隆盛の像に会う。などなど」。
当時、普通列車は東京まで八時間かかり、その長い時を、いつも忙しくしている父母を独占していられたことがうれしかった。その時、父が教えた「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける 山部赤人」と供に、はじめて見た本当の富士山。
富士山の形の山は、地球に一つだけと思い込んでいたのに、外国に住んで、意外に同じような姿の山があることを知るのだけれど、日本の富士山はやはり特別。
外国からはじめて日本に帰り、古里への新幹線に乗り、富士山が視界に入ったとき、訳知らず涙をこぼした。

 

そしてずっと後、しばしば古里に帰るにあたり、東京駅を出ると富士山をさがす。
品川辺り、丹沢山地の向こうに富士山がみえはじめる。トンネルや箱根外輪山にはばまれはするけれど、ほとんどずっと見えつづけ、だんだん大きく、富士駅辺りの長い裾野の富士山を、[描きたい]、と思う。浜名湖でもまだ見える。二川まではみえる。豊橋に着く頃には見えない。
紀伊半島、熊野からも見えるという。いつか熊野古道からも富士山を探してみたい、などとも思う。
富士山を描く、描きたい、などとはおこがましい、まだ十年はやいと言うが聞こえないではないけれど、そんな悠長な事はいっていられない。もう急がないと。
厳冬期の富士山が一番うつくしいという。それならばその時に、富士山の東西南北からを描いてみよう。

 

[東] 山中湖を見下ろす三国峠のパノラマ台から。
はるばるやってきた富士山は、頂上に寒そうな雲がしっかり、でも今日の私の富士山なのだから、ありのままのスケッチを。
ここまで近付くと、右側の稜線に、数十万年前に出来た一番古い小御岳がぼこっと見え、左側の稜線には、三百年前の噴火の宝永山がある。せっかくこんなに近付いたのだから、見える限りの瘤も谷も、欲深く描く。
強風、したがってとてつもなく寒い、富士山では

[北] 天上山から描く予定にしていたけれど、強風につきケーブルカーが運休になってしまった。この寒さに山登りをする実力はないゆえ、河口湖畔からに変更。
湖畔にも雪が降りはじめ、冬枯れているラベンダー畑の向こうに、富士の稜線はどこまでもと続く。見開きにしたスケッチブックに、心おきなく本当の右側左側の稜線をひく。
河口湖畔のホテルに一夜を宿る。もちろん富士山側の部屋。暮れてゆく富士山、闇に同化してゆく富士山。カーテンなど閉めず、富士山と一緒に寝る。
夜明けの気配、余分なもののない、富士山だけが窓いっぱいに明けてゆく。なんと美しい、美しすぎる。刻々と変化する朝日の富士山を描こうとあせりまくる。

[南]十里木高原へ。
宝永火口を正面に見る位置。朝の日は、火口に濃い影を。火口を大きく深く描いた富士山も、水が凍ったシャリシャリした絵になった。

[西]田貫湖近く日溜りをみつけ、やっと寒くない。ここからの富士の裾野前面長い長い杉木の列。花粉をいっぱいにふくむ色。杉の秀をつんつんと描きつづけた。
富士山をひとまわりし、描きたくとも、あきらめざるを得なかった場面が多く、また来たい思いが募った。

 

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