ことのはスケッチ(292)

祇園

絵を描く基礎のひとつ、人体を正確に把握するというがある。
私は、いつまでたっても基礎の部分から抜け出せないでいる、というか、これで充分ということなどないのだから、一日のことが終わった夕刻から、モデルがモデルしてくれるアトリエに、クロッキーにゆく。
五分ポーズや十分ポーズをおいかけ、無我夢中になっている時、このアトリエを管理している絵描きさんが、「舞妓を描きにゆきませんか」と、誘ってくださった。
未だかって、「舞妓を描きたい」とか「舞妓の絵」とかの発想はなかったけれど、とっさに「ゆきます」と、返事をしていた。

 

地図を渡され、京都祇園での現地集合。
事情はよくわからないまま、「立ち姿だろうか、座りポーズかな」、どちらにも対応出来る画材を重く携え、まず、八坂神社にお参りし、祇園への心構えを。
この辺りまったく縁がないみたいだけれど、本当は、無いわけではない。
子供達の父親の従妹が、「一力」に縁組みをしているのだから。
目指すお茶屋を探し当てる。祇園の格子戸の中になど、やたらに入れるものではないのに、お茶屋のおかあさんに丁寧に案内され、夜ではない昼間のお座敷へ。
私を含め総勢五人が集まった頃合、おこぼの音が、遠くより近づいてくる。

 

舞妓になったばかりという十九歳の佳菜子さんの正装。伝統に何一つたがわず、割れしのぶに結われた髪に、赤い鹿の子が見え隠れ、銀のビラカンがキラリと揺れる。
[明日からは、"松"どすけど、今日までは"もみじ"どす]、と長く垂れ下がる紅葉の簪。幅広いだらりの帯、帯揚げ、帯留め。立派な刺繍の衿。長く引く着物、端折らなければ歩かれもせず。そのうえ、お座敷籠、いわゆるハンドバックをもち。華奢な舞妓が二十キロにもなる正装で、二十分づつの固定ポーズをとってくださる。
舞妓を描くということになれば、仕来りの何一ついいかげんにして良いものではなく、襟足が二本足に塗り残され、顔刷毛でみごとに真白く塗られた顔の、髪の生え際が細く塗り残され、本当の肌を垣間見せる。下唇にだけ紅が差され、目尻と眉にも小さく紅。
休み時間の入りつつの四時間には描きかねる事も多く、着物の模様など後で描けるよう、写真にのこす。

 

お茶屋とは、飲み物食べ物は仕出しや料亭から、とは知っていたけれど、私達への三時のおやつも喫茶店からコーヒーとサンドイッチがとどいた。
お茶屋を私邸とするおかあさんの、どこまでを、とのけじめを知る。
常と異なる、固定ポーズ、などということにさぞ疲れたことでしように、いやな顔などすることもなく、もう何百回もされただろう素人の質問にあかるく答えてくれ、人と上手に付き合う術のみごとさ、歴史を感じるとともに、いたいけなさも。
描き終わると言うにはいたらなかったことに、おかあさんは「いつでも電話をしてください、席を設けますから」と。私は、もうここで一見さんではなくなつた。自分の意思でここにこられる

 

今まで見た事のある、上手な、きれいに描かれた舞妓ではなく、身近に感じた息吹き、モデルして下さった舞妓の内から滲み出る雰囲気を、描きあげたい。
朝丘雪路さんが、京都を散策し、お茶屋遊びをするテレビ番組をみていた。
お座敷で舞妓が踊っている、「あの帯、見たことがある」。モデルをしてくださった佳菜子さんでした。描きに行った時には見られなかった踊り姿もみられたことに、何か加はる気がしている私の絵。

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