ことのはスケッチ(306) 2004年6月

アルゼンチンの蜂蜜

 

だいたいのことについて、良い方向に考えを向ける術を知っている。それは、目覚めの一杯の紅茶に頼るのだけれど。
これだけは譲れない自分好みに紅茶をいれ、そして一匙の「特別な蜂蜜」。自分の香りと、自分の味と。ほのぼのと、アルゼンチンでこの蜂蜜にであったことを思い起こす。


前後の見さかいもなく、日本から一番遠い国へ行ってみようという発想のみでアルゼンチンへ出掛けてゆき、言葉も、その国の事情も、なんにもわからないまま、それでも、行き着いた国で生きて行くため、ブェノスアイレスに電気関係の工場を始めた頃、時事通信の特派員として赴任された山形県出身の菊地四郎さんと知り会う。そして、山形県の菊地一族の菊地金助さんが、すでにアルゼンチンのチビリッコイ地方で養蜂事業をされていると紹介された。


私達に、牧場や養蜂事業を展開する生涯の家族ができた。
週末には、ブェノスアイレスから160キロ離れたチビリッコイにゆく楽しさの年月。
牧場の端っこに、日本より取り寄せた日本の野菜の種を蒔く。日本の野菜は憧れであったことが嘘のよう。三つ葉もニラも茄子も青紫蘇も胡瓜も・・・収穫して下さった。
夜ともなれば、川が流れている様子もないのに、360度の平原に夥しい蛍の光。その上の空を埋め尽くす星。星か蛍か、お伽噺のような世界になる。子供達が、日本葱をちぎり、その袋の中に、捕らえた蛍を入れる。葱の緑がポーッと明るくなった。
空と大地の牧場のもうひとつの場面。私の背丈をはるかに越える薊の林?をジープみたいな車台の高い車に乗ってバリバリ進む。こんなに大きくないときの薊は、牛達の好物なのだと。刺をどのように食べるのだろうか、怪我をしないのだろうか。薊で育った牛肉は、それはそれは美味。薊の蜂蜜も美味。
そんな牧場に蜜蜂の巣箱が置いてあった。
蜂にさされたりしながら、手動の遠心分離機で、蜂蜜を取り出す作業を手伝った。零れたのはなめてしまったり。ローヤルゼリーをとる作業も、王台にローヤルゼリーがたまると、蜂の幼虫を取りだし、その幼虫はフライパンでこんがり焼いて食べたこと。この世に、これ以上おいしいものは無いと記憶した。


年月は過ぎ、アルゼンチンも他の国々も知って育って欲しかったアルゼンチン生まれの子供達を連れ、アメリカや日本やヨーロッパや・・・私が世界の何処にいても、菊地さんの蜂蜜は届けられた。菊地さんの蜂蜜が無くては、もう紅茶もコーヒーも安らげない、料理も出来ない。
そして、菊地さんの蜂蜜を取る範囲は、広大なアルゼンチンの草原を縦横無尽。とうとうアルゼンチン一の蜂飼になってしまった。
自分だけ、美味しくて健康に良い物を食べているのではなく、皆にも蜂蜜本来の、アルゼンチンで味わったままの味を届けられないだろうか。
ただ年を取ってゆくままの自分にしておかないで、菊地さんの蜂蜜を日本に輸入しょう、と思いたってしまった。

 
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