ことのはスケッチ(307) 2004年7月貝紫
テキスタイル・デザインを志していたころ、糸を作る、織る、図案を描く、染める・・・全部の行程が思考と実践の範囲だった。
草木で染める。紅花、藍、ムラサキの根っこで染める高貴な紫・・・。
動物で染める。サボテンにつく小さな虫コチニールの深紅、アクギガイ科の巻き貝のパープル腺液の紫・・・。
古代よりヨーロッパで権威の象徴としての貝紫色。巻貝のパープル腺の極小量分泌粘液を取りだして染める。大きな物を染めることなど至難のわざと思えるのに、クレオパトラは、貝の紫の大きな帆を張った船に乗り、富と権力と魅惑と・・・しらしめたと。
中南米、マヤ、インカのころより巻貝で紫を染めた。大海の怒涛の岩場に立ち、巻貝の蓋を押し、ほとばしるパープル腺液を綛糸に直接かける。貝も人も命がけの紫。
知識として、あこがれとして、ずっと私の心にあった貝紫染めを、再現しょうではないかと提案してくれる従兄がおり、海のことなら何なりと頼れるもうひとりの従兄もいて、私達の古里三河湾で実行と相なる。
会場は三河線吉良吉田の漁港のセリ台。東京から高名な染色家も、弟子達と共に参加され、お膳立てはすべて整ったのに、一番の要、朝日に美しく発色する貝紫染に、太陽が不足したまま。止むことのない雨の中での作業となってしまった。
万葉集を原点とする三河アララギグループが、古代紫を偲び貝紫染に挑戦した日は、今が旬のトリガイのセリがおこなわれていて、セリ台が使用出来ず、かろうじて雨をよけるコンクリートに直接屈み、ニシ巻貝と格闘。膝、腰、全身を労わらなければならない世代には、やはり命がけの作業だった。
生きた貝を食材として調理することは慣れということに従っているけれど、生きているニシ貝に金槌を振りかざすことには躊躇をしつつも、巻き貝の巻き巻きの奥の方に潜むパープル腺を探し出す。紫色などしていない、ほんの微量の蛍光じみたクリーム色をしごき取る。パープル腺液は、ニシ貝が捕食するアサリをしびれさすためなのだと。
古代に思いを馳せ、巻貝の解剖も学び、集めたパープル腺液を三河湾の海水でほぐし、うすめもして、糸、スカーフなど染める物、絹、木綿、を浸す。朝の太陽に晒し発色を促す作業を残して終了。
潰され、パープル腺を扱き取られたニシ貝は、刺身に、煮物に、八丁味噌の酢味噌あえになり、それはそれはおいしかった。けれど、いつかの夢、海辺に住んで、ニシ貝を飼い飼育しながら、何度でもパープル腺液をいただく方法にしたい。
万葉集、四千五百十六首のなかから、紫の詠まれている歌を探してみた。植物のムラサキの歌かとも、伊勢の海女がイボニシ貝で海女着に魔除けなど染めたという事実をふまえて、貝紫に関する歌か、ただ海に関するばかりかとも、あのことこのこと紫への思いに遊ぶ。
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