ことのはスケッチ (294) 2003年6月

熊野古道

慈円の[愚管抄]に、「白河院ノ御時、御熊野詣トイフコトハジマリ…」とは、1090年代のこと。
白河上皇は、十二度熊野へ人馬を従えた御幸をされた。亀山上皇までの歴代の天皇、法皇、女院…幾度御幸をされたか、と数える記録がある。
御幸の時代が終わり、武士、庶民へと、その時々の世相を経て信仰は受けつがれ、熊野詣は現在に至る。

 

「西行」熊野に参った歌。
待ち来つる八上の桜咲きにけり荒く下すな三栖の山風
立ち登る月のあたりに雲消えて光重ぬる七こしの峰
眞熊野の空しき事はあらじかしむしたれ板の運ぶ歩
新たなる熊野詣の験をば氷のこりに得べきなりけり
幾度も熊野に参られた様子が偲ばれる。
「斎藤茂吉」西行を心した熊野の歌。
紀伊のくに大雲取の峰ごえに一足ごとにわが汗はおつ
ゆふばえの雲あかあかとみだりつつ熊野の灘は夜にわたりぬ
雲取を越えて来ぬれば山蛭の口処あはれむ三人よりつつ
「土屋文明」幾回に及ぶ熊野への旅の歌
春の日の西日になりて落ち来たる滝水は中空に霧となびかふ
この山の花の淡きも思ひしむ大辺路とほく来たりにしかば
那智山に三たび来にけりやうやくにはやき老かも嬬をともなふ
山の上の夕映は海につらなりて松しづかなる南紀伊の国
四度来て滝のしぶきに濡れて立つ供に見て亡き在るも伴はず
大雲取越えて苦しみを残す二人定家四十茂吉四十四
草の下に或はかくるる石の道千年の苔のおろそかならず
幾世の人幾世かさねし足跡の上に我が一日の足跡の消ゆべし
待ち待ちて幾年のことま熊野の中辺路の桜咲くも咲かぬも

 

先人の詠まれた歌の中に立ち、歴史も風景も、心情もリズムも、総て感じたい。
そして、志す自身の歌に至りたい。
千年の昔、奥州白河の僧安珍は、熊野詣の折清姫に出合い、と熊野詣にまつわる記述。
和泉式部の熊野詣、女性参詣も多かったこと。
平清盛の熊野詣。
有名無名、様様な熊野詣を心にもち、私自身、はじめて熊野へ行こうと思いたったのは、
縁あって住みはじめた東京、王子に「王子神社」というがあり、御由緒に「この辺りの領主が熊野より勧請した」と。熊野三社の御子神「王子大神」をもって、この地を「王子」とする、という王子神社のルーツを見たかった。

 

はじめて熊野に行った時の私の歌。
生と死とはざまなりしか那智の海黒潮流るる流れは見えぬ
自らの命のことの切々と那智参詣曼荼羅のまえ
境内を通り抜けゆく朝に夕に王子神社のゐます日毎を
前回熊野に行った時は、知らなかったこと、気付かなかったこと、感じなかったこと、そんなことを、あらためて確かめたく、また出かけた。
熊野とは、生きること、死にゆくこと、を真剣に思うところ。
ひたすら熊野詣をした「人間」の気持を、わかるような気がしている。

   

 


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