ことのはスケッチ (336) 2006年12月

『ライブ』

折角、外国に住むことにしたのだから、このときにしか出来ないことを。
折角、外国で生まれたのだから、そのことを活かしてゆくように。
折角の経験を、ささやかであるのは当然、でも何かしら役に立ちながら居て欲しい。

アルゼンチンに住むことにしてから、やせ我慢、日本および日本語がない環境に自分をおいた。
そこに生まれた私の二人の赤ちゃんは、私の唯一、一方的な日本語の話し相手として、日本のこと、世界の国々のこと、世界情勢…私の知るかぎりを、国と国と、出会えた人と人と、戦いのない、偏見のない…そんな気持ちをもって生きていって欲しいことを、希望を、話し続けた。
そして、アルゼンチンの小学校にゆき、日本にあるインターナショナル
スクールで中学を終え、高校はアメリカの途中にとび級をして、スイスで終了。大学は、またアメリカを彼女等が選んだ。
女の子であっても、自身の生涯の仕事をもち、自身の経済は自身で支えるように。
あまりに沢山のことを、子供達に押し付けていたことに気付き、18歳からはもうなにもいわない。
私も、私としての一人の人間に戻らなくては。

今、大人になってニューヨークで仕事最優先の生活をしている私の子供たちが、アメリカと日本と南米と…繋ぐ仕事をはじめている。
「二週間ほど泊めてもらえますか!」と成田から突然電話がかかってくる。
「どうぞどうぞ」。鍵の受け渡しをし、後は「自由に暮らしていてください」。
それでも、「一緒にすごすのだなー」と甘く思うのだったけれど、ほとんど会う機会がないまま日が過ぎる。
朝、私がオフィスに出掛けるときは、深く深く寝ていることもあり、まだ帰ってきてないことも。
私のオフィスアワー、ときに「もう起きた?」と電話をしてみると「今、アメリカと連絡中」とか「今日の仕事の資料を制作中」とか。
仕事を終え八時ごろ家に帰ると、彼女の姿はあとかたもない。
「帰ってくるのかなー」という発想はしない。私は私の日常どおり。

「日本のアーチストで、アメリカに紹介したいグループのライブがあるから聞きにこない!」と電話がかかる。「もちろん行くよ」とは私。
夜中には家に居ない人が、いったいどんなことをしているのか興味ある。
教えられたように、渋谷のライブハウスへいく。教えられたとおり、入り口で、『タマユ』と言う。「どうぞ」とフリーパス。
「飲み物は何がよろしいか」、何とかサワーの缶をもち、それより一大音響。足の裏からビリビリしびれる。この世にこんな大きな音があるって知らなかった。
自分の心臓の鼓動はどこかへふっとび、大音響の方のリズムが私の身体に入り込み、ラップとかソールとか…。この音に逆らっては息も出来ない。脈も打てない。
舞台だけ明るく、あとは闇。その闇のなか、私より三世代は若いかな、と思う集団が、私の身体に入ったリズムと同じリズムでおどる。蠢く。自分など一切なくなって、これほどの無になりきれるのは本当にいい。
『タマユ』はどこにいるのやら。
おかしな仕事をはじめたものだ。

 
 

 


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