土屋文明歌集。(那須殺生石)
吹く風は尾の上の草に渡れども谷あつくして毒気うごけり
殺生石は草木たえたる石はらに秋ひる過ぎの陽炎は立つ
こともなく散りぼふ虫は死にてあり甲虫をいくつか拾ふ
(那須の国)
友十人我と我が妻をみちびきて夕かげとなる殺生石の谷
わが好み君等に強ひて那須の国の若葉の中を昨日も今日も
生ける世のさびしくならば此所に来よ谷にたなびく藤波の花
この歌を知って以来、殺生をする石があるなどとの不思議。何とか実態を知りたい。友人達を誘ってみても、「石がゴロゴロしているだけ」と、誰も興味をもってはくれない日は続いた。
東北自動車道をひた走り、那須ICより那須高原、聖武天皇の頃から那須湯であった那須温泉郷に入ってゆく。
ここに、祖父が話して下さった物語、昔があった。那須与一、屋島の合戦で的を射る時「南無八幡大菩薩・・・」と祈った、その祈願の那須温泉神社。おじいちゃんのお話を、何十年もたって解明した。
そしてすぐ近く、問題の殺生石。輝石安山岩がゴロゴロ。硫黄臭がたちこめ、岩が殺生をするのではない、硫化水素など有毒ガスが岩の下より噴出し、その毒気に虫鳥獣が死ぬということを知る。
文明先生は、毒気に死んだ甲虫を拾われた。その昔は、地面が見えないほど虫や蝶が折り重なって死んでいたこともあったという。
私が、近付いた範囲では、何虫も死んではいなかった。昔は、もっと毒気が強かったのだろうか。毒気の強い日、弱い日、なんてこともあるのだろうか。
奥の細道への道すがら、芭蕉は、殺生石に立ち寄り、「石の香や夏草赤く露あつし」の俳句を残す。
そしてもちろん芭蕉は西行の歌の残る遊行柳へ。
西行の和歌 (新古今集 山家集)
道の辺の清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ
芭蕉の俳句
田一枚植えて立ち去る柳かな
蕪村の俳句
柳散清水涸石処々 |