ことのはスケッチ(301) 2004年1月

ニューヨーク

 

時に、遮二無二環境を変えたくなる。そんな時、引越しを考えるのが常だった。このごろ容易に住所を変更するわけにもゆかず、超ミニではあるけれど、ニューヨークへ絵画留学などと戯れに言ってみる。

十一月の日々、人間が考えだした大きなテロ、炭素菌ばらまき、大停電・・・真近く直面し、乗り越えた子供達の家に居候し、大摩天楼の連立するビルの真っ只中、異民族、異習慣・・・私とたった一つ異なるジェネレーションの子供達の生活があるなんて驚き。とはいっても、身内という関係は誰一人来てはくれなかった私のアルゼンチンでのことを思えば、子供達の方がまだ、何でも無い事ことかな、とも思う。

 

ニューヨークの絵画事情をうろうろしてみることにする。ニューヨークに着いた日から、さっそく留学生。アトリエに通うのに、タクシーに乗るか、地下鉄にするか。
ニューヨークの地下鉄は、日本のやさしい雰囲気のとはわけが違う。なにしろ汚い感じ、暗い、轟轟と巨大な音を発し、大きく揺れに揺れ・・・以前一度乗ったことがあり、この移動方法は私にはとても無理と決めたことだけれど、ミニではあるが学生の身ともなれば地下鉄ごときに躊躇しているわけにはゆかない。

毎日通うことにした目的のアトリエでのことは、本当にうれしかった。日本での若く美しいモデルが、微動もしない「物」に成りすますのと違い、老の人、若い人、極太の人、髭の生えている人、アクロバット系の人・・・人間の動きのまま、一分毎のポーズ、二分ポーズ。動く姿が当然、当然の姿こそ描くべきであり、短歌も一瞬のひらめきをとらえて詠む。

こんな時間が四時間、毎日。毎日、五十枚綴りのクロッキーブック一冊を描きおえた。動きを追う面白さに取りつかれた。

 

毎日通ったアトリエで、毎日会った人達。九十六歳の白髪のレディ、九十歳のジェントルマン、普通のアメリカの人、モデル兼絵描きの人、ちょつと変わった風アメリカの人・・・。

そして、すっかり感心してしまったことは、九十六歳のレディが、アトリエに近づいた時、帰って行こうとする時、近くに居合わせた人誰彼が、地下のアトリエへの急階段をエスコートする、いとも自然に。

年を取っても、毎日アトリエに通ってくる人達に出会い、きっと私も、生きている限りを進歩してゆくだろう事を心に誓った。

ニューヨークに風が吹き、ニューヨークに雨が降り、ニューヨークの小春日和・・・地下のアトリエで人間の動きを追いかける日々があり、また勇気を出して次のことへ向かってゆける。

地球の上にジェット気流の強い時期、気流に逆らって帰る十五時間にも及ぶ飛行。とても遠い処に子供達が居ることを思うと共に、私の範囲を広げ続けてくれていることも。

   

 


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