江戸、明治期の蔵造りの建物が残る昔の細さのままの道を、ひっきりなしの車を避けながら、避けるスペースもない程であることが、佐原の町での始まりだった。これでは、とても蔵造りの町並みにひたるどころではない、と思うとき小野川に行き当たり、小野川に添う。
そこは、タイムスリップ江戸時代。両岸に柳のやさしい若緑、水郷へ行き来の小舟が通り、国の重要伝統的建造物群保存地区と守られる。
現存蔵造りは、書店、呉服店、乾物店、油惣店、佃煮店・・・。折角の江戸の面影を、私のスケッチブックに是非残したい。
家紋の鬼瓦を掲げる厚い屋根、漆喰の白い壁、千本格子・・・。佃煮屋と書店とを描き終え、インターネットで調べた、伊能忠敬醸造業の旧宅へ、伊能忠敬記念館へ。
小学校の授業で、伊能忠敬について習った時の驚きと興味と、今になっても忘れない。
彼は、五十歳の隠居を機に、佐原から江戸に出て、暦学、天文学、を学び、それから日本全土を測量して歩き、日本最初の実測地図を作った。
もう、年をとったのだから、などと躊躇することなく、日本はもとより、地球の大きさまで測ろうとした実行力は、見習いたい。
記念館に、「伊能図の中部、参河辺り」が、展示されていた。ここは、丁度私の古里。
天測地点の本宮山の☆印より、針をさして線を引き、下佐脇、御馬湊、西方、大草、赤根、大塚・・・生まれ育った馴染みの地名が手書きされている。
伊能忠敬は、私の古里も彼の歩幅で歩き、記録して下さった。大きな感動で、しばらくは動かなかった。
日本の二百年前、伊能忠敬による実測地図はやっと出来、その二百年後の今、伊能図を打ち壊した直線の埋立地になってしまった古里。 |