ことのはスケッチ(298) 2003年10月

佐原 天測地図

 
 

利根川水運河港、水郷のある蔵造りの商業都市。そして伊能忠敬のこと。
佐原のことが知りたく、上野から京成線に乗り、同行の友と話し込んでいた。「佐倉」というアナウンスに、「もう着いてしまった」。急いで下車。駅前で見まわすと、「佐倉城址、民俗博物館」方面行きのバスが来た。とにかく乗った。
それは立派な博物館があったこと。日本始まって以来の土の中から堀り出された品々が、秩序よく、解り易く説明付き。その莫大な展示品に、夢中になり、利口になり、感動し、疲れた。家に帰るエネルギーを温存しなければ、と早々帰る事とし、帰りついた家で、成果を調べると、どうも佐原に行ってきたのではないことに気付いた。

そんな間抜けなこともして、今度はインターネットで抜かり無く調べ、蔵造りの家並みをスケッチするべく、画材を携え出かける。

 

江戸、明治期の蔵造りの建物が残る昔の細さのままの道を、ひっきりなしの車を避けながら、避けるスペースもない程であることが、佐原の町での始まりだった。これでは、とても蔵造りの町並みにひたるどころではない、と思うとき小野川に行き当たり、小野川に添う。
そこは、タイムスリップ江戸時代。両岸に柳のやさしい若緑、水郷へ行き来の小舟が通り、国の重要伝統的建造物群保存地区と守られる。
現存蔵造りは、書店、呉服店、乾物店、油惣店、佃煮店・・・。折角の江戸の面影を、私のスケッチブックに是非残したい。
家紋の鬼瓦を掲げる厚い屋根、漆喰の白い壁、千本格子・・・。佃煮屋と書店とを描き終え、インターネットで調べた、伊能忠敬醸造業の旧宅へ、伊能忠敬記念館へ。

小学校の授業で、伊能忠敬について習った時の驚きと興味と、今になっても忘れない。
彼は、五十歳の隠居を機に、佐原から江戸に出て、暦学、天文学、を学び、それから日本全土を測量して歩き、日本最初の実測地図を作った。
もう、年をとったのだから、などと躊躇することなく、日本はもとより、地球の大きさまで測ろうとした実行力は、見習いたい。
記念館に、「伊能図の中部、参河辺り」が、展示されていた。ここは、丁度私の古里。
天測地点の本宮山の☆印より、針をさして線を引き、下佐脇、御馬湊、西方、大草、赤根、大塚・・・生まれ育った馴染みの地名が手書きされている。
伊能忠敬は、私の古里も彼の歩幅で歩き、記録して下さった。大きな感動で、しばらくは動かなかった。
日本の二百年前、伊能忠敬による実測地図はやっと出来、その二百年後の今、伊能図を打ち壊した直線の埋立地になってしまった古里。

 

土屋文明歌集


○ 明治十七年測量の地図貰ひたり我が前に亡びし家も載せたり


明治十八年に正式の基本図測量が開始されたから、その前の伊能図を参考にして作成された地図のことかと思ったりしている。
そして、もう一つみつけただしたことは、伊能図の原点、東京深川の伊能忠敬の隠宅から、仙台堀川、清澄庭園、小名木川、芭蕉記念館、両国橋、柳橋、浅草司天台、雷門、浅草寺、吾妻橋、江戸東京博物館、そして隠宅。


伊能忠敬は、この道すじを幾度も幾度も歩測し、緯度一分の長さを算定した。
この辺りは、スケッチに、散策に、外国の友人達を案内し、行きつけのレストランも幾つかあり・・・とにかく私の範囲と思い込んでいるところが、伊能忠敬の歩測の道であったことを。

心して歩く。改めて一歩一歩。

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