ことのはスケッチ(310)

信州

『白砂に清き水引き植ゑならぶわさび茂りて春ふけにけり』

私の毎日の場に、土屋文明先生が書いて下さったこの歌の色紙が架けてある。活字で読むのとまた違い、先生が書かれたときの息吹きが、歌のリズムが行間からあふれ、さわやかな自然の風を受けているような、未知へのあこがれに満ち、心を、個性を、人間であることをしみじみ思い起こす。

この色紙が私の手許にある経緯。私の父母は、アララギ派の歌人であり、土屋文明先生を心より慕い、敬った一生だったこと。縁あって家族になれた高山福子母は、土屋先生の信州教職時代の数少ない生徒のひとり、土屋文明歌集の『某日某学園にて』に詠まれている。


○ 語らへば眼かがやく処女等に思ひいづ諏訪女学校にありし頃のこと


○ 清き世をこひねがひつつひたすらなる処女等の中に今日はもの言ふ


○ 芝生あり林あり白き校舎あり清き世ねがふ少女あれこそ

高山母は、土屋先生の教えに忠実にしたがい、家族をもってからも歯科医師として自立した気高い生涯をおくった。

 

土屋先生が出席された信州の女学校の同窓会の折り、高山母に、今泉との縁をよろこばれた先生が、短歌を続けたい私へと色紙を託してくださった。

私と同じように、外国で生まれた子供を、出生地、日本、世界、にいかに適応できるように育てるか・・・という同じ次元を経験したブラジルの友達が、彼の故郷上諏訪でインターナショナル・フード・マーケットを始めた。久し振りに会いたかったし、新しい店のお祝いも言いたかった。
諏訪にゆく大義名分がととのったから、中央線に乗った。
上諏訪辺りを訪ねることになった喜び。汽車の窓からの景色も何も見逃したくない。土屋先生の歌を活字を超えて感じたかった。

土屋文明歌集 『上諏訪雑詠』


○ いただきはいまだ萌えざる峠山幾曲りして越ゆる道あり


○ 春おそき福沢山を越ゆる道人も通はずうねれるがみゆ


○ 傾斜急き山墾畑の疎榛もいつか芽ぶきのしげくなりたり


○ 水落ちて野菜の屑のくさり居る湖のみぎはに歩み来にけり


 

信州ゆかりの今は亡いなつかしい人達が眺めたでしょう、山並、湖、町並・・・。
ブラジルの時の友人が諏訪駅で迎えて下さって、ブラジル流の猛スピードの運転の間に間に「ここが見たかった」「ここが見られた」必死で信州を垣間みる。
東京の真夏の心構えまま、景色として眺めるはずだった信州の山並にも分け入る、三千メートルちかい、剣ヶ峰、大黒岳、恵比寿岳・・・乗鞍岳を形成している山容は、どちらを向いても岩がごろごろ。岩山を白雲が覆い、白雲がとぎれ、イワキキョウが風にふるえ、私も震え、信州への思いに、コバイケイソウも加わった。

そっと眺めるつもりだった信州を・・・ちょつと厚かましかったことを恥じつつ。

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