ことのはスケッチ(346) 2007年10月

『タイ国へ』

「十日間ほど泊めてください」。また玉由が日本へきていた。この頃よく日本での仕事があるらしい。一人で居る私を気遣ってくれているのだろうけれど。
一人だけの家で、生まれてきたままの自分の性格になっているのがとても好き、だけど玉由がいて、「一緒に、何を食べようかな」なんて思うのもいいものだ。

日本での仕事を終え、ニューヨークへ帰る途中、「今度、プロデュースする映画のシナリオの打ち合わせに『タイ』へゆく」という。
なんだかよく理解できなかったけれど、「ニューユークに住んでいた人が、タイに移り住み、その人の『経験』を、ニューヨークから北京に移り住んでいる作家が書く」ということで、会ったことが無い三人が、タイでミーティングをする、ということらしい。
私より正しい判断をする、と思っている玉由のことだけれど、今回のことばかりは「一人で行ってはだめ、付いてゆく」と叫んでいた。不安要素をもっていたくない。
日本最後の日の夜中の“ライブ”を終え直接成田へゆく玉由と、私と、空港で合流しタイへゆくという図ができた。
空港で買った「タイ」についてのガイドブックは、読まないうちに「バンコク」に着いてしまった。予備知識はゼロのまま。
タイ空港で、迎えてくれるはずの会ったことはないけれど会うべき人は、雑踏の中から私を玉由と間違えて探しだした。そんなこともあるのだから、まず役にたてた。
でも、迎えてくれた人がとても良い印象の人だったから、ちょっと拍子抜け。ここまでで、私のでる幕は無くなってしまい、宿った高層ホテルのバスにお湯をいっぱいため、プカプカ浮いていたらタイでの一夜目は終ってしまった。

次の日、せっかくのタイを観ようと試みる。
飛行機の窓からも、高層のホテルの窓からも、蛇行している様子に親しんでいた、茶色のチャオプラヤー川の乗合船で、まずは王様にご挨拶を、王宮へ行く。
暑くて、こんなに暑いのに、世界中からの観光客がいっぱい。
林立し、天を指す宝の塔をクラクラしながら見上げる。王様は凄い存在なのだ。

リヤカーみたいな車に乗って、寝仏の釈迦仏に会いにゆく。凄い勢いで走る車から吹き飛ばされないように、怖い思いをして着いたワット・ポー。
悟りを開かれ、涅槃に達せられた金の仏様のリラックス寝姿。
四十六メートルの寝姿に添い歩き、螺鈿細工の指紋、御足にあう。去りがたい。何と素敵な、心にふれる仏様。

また乗り合い船に乗る、すぐ、一つ目の停留所で下りる。花市場へゆく。
今度は、周りに人が居なくて、心細くなってしまう。
花がいっぱい、花花花・花を紐に通し、仏様への供華を造っている人達だけ。全ての花は、全ての仏様へ・・・。供華を造る人達が、いま、お目にかかってきた仏様の面長のお顔によく似ていて、こんな大発見もしたり、同じ仏教でも日本とおおきく異なることが興味深い。
あまりの暑さ、一日の半分くらいで疲れ果てた。
「また来たい」と思うのが精いっぱい。

次の朝、七時半の飛行機に乗るために四時に起きた。そして「タイ」見聞はおしまい。

 
 

 


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